社交術




 燭台には余すところなく火が灯され、昼もかくやといわんばかりで、広間の一角には楽団が休む間もなく弦を鳴らしている。彼らが奏でる音楽に合わせ、正装の老若男女が腕を組み、身体を寄せ合って踊っていた。戦争が続いた近年で自粛の傾向にあった社交の場に、貴族たちは足だけではなく、心も踊らせているのは誰の目にも分かる。曲は変わるものの、途切れる気配はなく、男女は流れるような所作で相手を替えてまた踊り始める。その中で、ひと際リズの目に止まった男女が、曲の始まりに合わせて足を一歩踏み出した。いや、正確には男の方だけを王女は見ていた。すらりとした身体と手は相手の令嬢をしっかりと抱き止め、流れるように踊っている。社交の場で踊るのだから、当然ながら普段の鎧姿ではなく、金縁のフロックコートに絹のスカーフを宝石で留めている。相手の令嬢も目の覚めるようなドレスをふわりとさせ、まるで絵巻物の一場面のように思えた。あのような踊り、一体どこで習得したのだろうか。リズは不思議に思えてならない。彼は、イーリス王家の従騎士として、いや、従騎士以上の働きをしてきた。リズが生まれる前から、彼は王家に仕えて来た身だった。陽も昇る前からクロムやリズが怪我をしないようにと、王族の居城周辺の小石を拾い、戦時中もその習慣は絶やす事無く行って来た。陽が昇れば、クロムやリズの警護、自警団の運営、団員の訓練と、一体いつ眠っているのかと思うほど、フレデリクは常にイーリス王家の為に働いている。貴族の社交の為の手習いの時間など、あるはずもない。リズはそう思い込んでいた。

 曲が途切れると、フレデリクは何曲も踊っていたはずなのに息も乱さず、胸に手を当て、令嬢に深く頭を下げる。貴族の娘はフレデリクを気に入ったのか、何かを囁いていた。舞踏場から、リズの座る王族専用の椅子までは会話は届かない。令嬢は袖に下げていた小物入れから手帳を取り出した。リズの胸は一瞬跳ね上がる。それが何を意味するのか、いくら上流世界よりも市井に慣れ親しんだ天真爛漫な王女とて分かっている。

「リズ様」
 低い声で名を呼ばれ、びくりと声の主を見上げた。そこには、リズよりも一回り上ほどの青年貴族が深く頭を下げていた。
「次の曲にて、どうかわたくしに名誉を」
 リズは思わず尻込みしてしまう。イーリス貴族たちは、先王の意向の裏で、密やかに貴族の嗜みを絶やさずにいたのだが、リズには無縁の世界だった。
「あの、わたし……」
「王女が壁の花とは勿体なく。どうぞ、中央に出て可憐なお姿を皆に」
 頬を引きつらせているにも関わらず、貴族は一向に引こうとはしない。王女の反応も男女の駆け引きの一手、そう思っての事なのだろう。
 リズは華美なフロックコートの肩越しに、中央の舞踏場に目を遣った。"騎士"は相変わらず夫人や令嬢に囲まれ、次の相手を請われている。
「ごめんなさい!」
 リズは椅子を蹴って飛び出した。同時に舞踊曲の演奏が再開される。王女の椅子を蹴る音は、湧き立つ音にかき消され、人々の意識は、当然ながら次の踊りへと移っていた。

 思わず飛び出したが、外の冷気に当てられ、さすがに一国の王女のふるまいではなかったと後悔が生まれる。フレデリクだったら卒なく相手をするであろう。兄であったならば―――リズは頭を振った。イーリス王家が他国の王族とは色が異なるのは、重々に理解しているつもりだ。だからこそ、こう言った王侯貴族の社交の場を増やそうと、クロムも賛同していたのではないか。

「―――リズ様!」
 聞き慣れた声が、聞きたかった声が背中にかけられる。リズは迷わず振り返った。
「フレデリク!どうして」
「どうしてもこうしても、王女が出て行けば、身を案ずるのが騎士であります」
 リズは白い息を吐いた。彼を試した訳ではないのだが、結果的に彼の騎士としての気概に救われたのだ。そして、そんな自分をリズは恥じた。
「ごめんなさい」
「いいえ。お疲れになったのでしょう。もう休まれては」
「でも、主宰者は居なきゃ」
「案ずる事はありません。後は私が。クロム様もいらっしゃいます」
 リズは首を振った。エメリナは余り快く思っていない習慣で、リズも慣れる気配はないが、これも王族の務めなのだ。クロムも、剣を振るだけではいけないと執務室詰めの毎日を送っている。それに、いつまでフレデリクに頼っているだけではいけない。
「もう大丈夫だから。行こう、フレデリク」
「リズ様。本当に大丈夫なのですか?」
「うん、疲れたというよりも、フレデリクに驚いたのが大きいかな」
「私に?」
 フレデリクは心外だと目を丸くする。
「だって、あんなに踊りが上手だったから……一体どこで覚えたのかなって」
「騎士の嗜みの一つです」
 さらりと彼は答える。
「あの場で私が踊れないと断ったり、無様な踊りを見せてしまっては、王家の恥にもなりますから」
 と、付け加えた。
「でもその王族が踊れないよ……お兄ちゃんもだけど……」
「それは追々習って行けば良いではありませんか」
「じゃあさ!」
 フレデリクの言葉に、リズの顔は花開いたように明るくなった。すっと右手をフレデリクの前に出すと、フレデリクは意味を察して閉口する。
「どうぞわたしに名誉を」
 それは、男性側の言葉です、とフレデリクは途切れ途切れに告げるも、リズは口の端を上げたまま手を引かずにいた。都合良く、遠くから楽団の演奏が風に流れて来た。フレデリクは観念して、胸に手を当てて頭を下げる。手袋越しだが、フレデリクに手を強く握られ、厚手の上着越しだが、身体を引き寄せられ、リズの心中も先刻とは違う波が立った。
 足場が、磨かれた床ではなく、芝の生い茂る土のせいか、あんなにも洗練されていたように見えたフレデリクの足取りが、どこか覚束なくあった。  
14/04/12   Back