ティアモとスミア




 「ええ…駄目なのですか?」
 心底残念そうに顔を曇らせるスミアに、ティアモは冷淡にも「駄目」と切り捨てる。スミアの手には、今軍の一部で話題になっている細長い箱。彼女の手が動くたび、中で焼き菓子同士がぶつかる乾いた音が鳴っていた。
 箱の蓋は開かれ、噂通りの針のような細長い焼き菓子が覗いている。スミアの指はその中から一本だけをつまみ上げ、恨めしそうに揺らした。焼き菓子はまっすぐに伸び、ふわりとバターの匂いを振り撒いている。

 枝のように固くしっかりと焼き上げられ、バターと塩が絶妙であるという噂に、年頃の娘らしく菓子には目がないティアモが無関心であるはずもない。無論、この焼き菓子にまつわるとある”方法”も―――

 しかし、ティアモが友の願いに応じる訳にはいかない。
 スミアに関しては、自他共認めているほどの甘さではあっても。

「あのね、スミア」
 ティアモは、細長い焼き菓子を手に持つ友に向き直った。
「例えば、その、噂通りに”仲を深める方法”とやらをやったとして…」
 脳裏はしっかりと、それの端を咥えている己と友の姿。仲を深めるどころか頬を赤らめる暇もなく、その後の運命もしっかり予想できるのが悲しい。

「これ以上どうこうなる事はないとは思うけれど」
「決め付けるのは良くありません…」
 そう告げると、スミアは心底悲しそうに睫毛を伏せる。
「決めつけているだなんて―――」
 いや、そもそも女同士、これ以上仲を深めてどうするつもりなのだろうか。ティアモは首を傾げずにはいられなかった。第一、彼女は、スミアには、将来を誓い合った相手がいるのだ。その夫君を差し置いて、好奇心で危険な道を歩もうならば、友として止めなければならない。

「あなたも人妻という自覚が足りないんじゃない?」
「どういう意味でしょうか?」
 心底不思議そうに丸くする大きな目に、ティアモははあ、とため息をついた。スミアが摘んでいる焼き菓子をおもむろに奪い、彼女の口元に差し出す。
「だから、そういう事は、自分の旦那とやりなさいって事!」
「!―――ティアモ―――」
 なぜか、スミアの顔は急に朱に染まる。落ち込んだり、不思議がったり、恥ずかしがったり、忙しそうだ。

「なぜ、わたしの話になるんですか?」
「えっ?いや、だって」
「わたしが言っているのはっ……むぐっ……」
 スミアが名を紡ぐ前に、ティアモの手が彼女の口を塞いだ。スミアはもごもごと苦しそうにしているが、その口から"あの人”の名が漏れ出てしまうくらいなら、構ってはいられない。
「な、なぜ知っているの?」
「なぜって……」
 何事も平然と卒なくこなしているティアモが、妙に動揺しているのは見て取れた。見れば分かる、とスミアも告げるのを憚られたくらいに。
 何分、完璧さを求めるティアモである。意中の相手に対する言動はにぎこちなく、それでいて自分は乙女心を隠している様子はおかしいくらいだ。男女の機微に通じてなくても気付いてしまう。中には、とんでもなく鈍い相手もいるが。

「それにね」
 そこでようやく、ティアモの手はスミアから完全に離れた。
「あたしとあの人は、なんともないの。なんとも。本当よ。一足飛びにそんな事出来る訳ないでしょう?」
「ええ、でも……花占いはしてはいけないんでしょう?あのひ……っむぐっ!」
 再びティアモの手がスミアの口を容赦なく塞ぐ。
「花占いだって、どうにかなるものではないのよ」
 恋愛必勝法だって無力であったのに。
 それは胸中で留めておいた。
 ティアモの手の内で、あの方は、ティアモに好意を持ているようですけど、という言葉は、もちろん本人には届きようもなかった。

 スミアはティアモの手を押し退け、ふう、と大きく息を吐く。息苦しさで、思わず指に力が入ってしまっていた。手にしていた焼き菓子は、さすがにひびを作っていた。仕方なく、スミアはその先端を口に運ぶ。
「ティアモもどうぞ」
 すい、と友に箱を差し出すのも忘れない。
「食べながら喋らないのよ」
 と、呆れながら箱の中身に指を伸ばす。"仲を深める方法”はともかく、この焼き菓子にはスミアに見せられた時から惹かれていたのだ。焼き菓子が放つ香りと寸分違わず香ばしい風味が口の中に広がる。

「おいしいわね」
「ええ」
 スミアはにこりと微笑んで焼き菓子を齧っている。美味しいそうに食べる姿は、見ている方まで笑顔になる。くるくる表情は変わるは、躓いたり、転んだり、持っている物をぶちまけたりと、スミアは毎日忙しそうだ。本当に。

「ねえ、あなたはやったの?」
 ふと脳裏に浮かんだ事を口にすると、スミアは顔を真っ赤にして首を横に振った。夫婦の契りを結んで二年の時を経ているのだが、いつまでも初々しく、仲睦まじい二人であった。このような”仲がより深まる方法”などなくとも。

「スミア、こんなのはどう?」
「何がですか?」
「もし、スミアが旦那さんと”これ”ができたら、あたしも思い切って行動に出てみようかとお思うの」
「えっ?本当ですか?」
 焼き菓子を摘み上げるティアモを前に、スミアの目は輝き始める。この無邪気な宝石に、何度慰められたことか。
 しかしすぐに瞼は伏せられ、頬に赤みが差す。恥ずかしいが、ティアモのためなら、と己の心に言い聞かせる。

「何だったらしましょうか?練習」
 そう言って、ティアモの口は、しっかりと焼き菓子の端を咥える。
「へっ?」
「冗談よ」
 からからと笑いティアモは咥えていた焼き菓子を短くして行った。
 

15/04/04 Back