alone and alone...



 胸から腹にかけて、すさまじい痛みが走る。
 身体が焼け付くようで、次第に息苦しくもなってきた。当然、立ってなどいられない。おれは半ば自棄になって突っかかったが、呆気なく一閃に伏されたって訳だ。
手にしていた剣も、伊達としか言いようのない物だった。魔法に明るけりゃもっとましに使えたかもしれねえが、しょせんは侠人に毛の生えた程度の腕前。貧民街の掃き溜めからのし上がったのは、単に腕力だけじゃねえ。 王子―――いや、今は王様か―――と言えど、いっぱしに訓練を受けた野郎にゃ一体一で敵うはずもなく。あの野郎の率いる軍よりも数が多い軍勢に属しながらも、"今回も"おれはあっけなく斃れるハメになっちまった。

 呼吸する度に胸の奥から生臭さが込み上げ、咳き込むと、どろりとしたモノが溢れ出て来た。生臭くて、体の中も外も焼け付くみたいに痛くなって、おれは今までになく嫌な汗がどっと吹き出るのを感じた。こんなもの、今まで何度も味わってきた。物心ついた時から、血と泥臭さには慣れ親しんで来たはずなのに。
 おれはもう死ぬ。そうだ死ぬ。
 今まで感じた事のない感覚が全身に広がる。死神の迎えが来ていると知ると、何だか笑えて来た。腹や喉が焼けて痛もうが、吐いた血が気管を塞ごうが一向に構わなかった。おれは笑った。すげえ楽しい。視界の隅に居やがるクロムや他の兵どもが怪訝な顔をしているのもどうでもいい。
 死だ。今度こそ、おれの許に死が訪れる。死の実感がいよいよ沸いてきたせいか、背中の震えが止まらない。


 おいおい、クロムさんよ。人として最低最悪のこのおれに、かける言葉が間違ってんじゃねえのか?おれが何したか、お前は嫌と言うほど見てきただろ。お前の、最愛のお姉ちゃんを死なせたのは一体誰だよ?
 
 ペレジア兵じゃなく、敢えてならず者を使ってイーリスに散々"こな"かけて来たもしたっけな。思い返せば、あれが一番精を出した"外交"だった。国内でも家臣の何人かは諌めていたんだぜ。そんな言葉は全部無視して、煽って煽って、あからさまに戦争になるように仕掛けたってのによ、だのに最後の最後まで和平だ話し合いだとほざいた聖王様にゃあ感服したぜ。久々に湧き出た胸糞の悪さだったなあ。ここまで気分を悪くさせたのは、貧民街の悪党でもそういねえ。エメリナが身を投げた後に、ひでえ戦争しかけたもんだとあいつと嗤って祝杯上げたもんだ。そうだ、あの女、どうしてっかな。

 二年前の、あの戦に負けたのは"おれ"だ。ペレジアが負けた訳ではない。クロムの野郎も先の戦争でおれを切り捨てた後は、ペレジアに対しては、結構な額だが金を請求しただけと聞く。そしてペレジアの支配権を放棄し、王位の取り決めはペレジアの坊主どもに任せたと。聖王の仇だとか言って、おれの首を掻っ切って晒し、ペレジアを自分のもんにときゃあ良かったものの。おれだったらそうするね。あの時、エメリナの死骸を見せしめに出来なかったのは、お前たちが予定より早く、しかも大軍でおれの所に来たから、仕方なくずらかるしかなかったんだよ。

 姉そうだが、弟も救い様のない"ばか"だったらしい。まったく、笑える。
 お前らの親父が強引に出兵したのは、そりゃあペレジア人にとっちゃ恨み深い事だ。だがな、聖戦だ危険な教義だとかそんな大義なんざ振りかざしてっけど、要するに"気に入らねえ"んだろ?ギムレーを信奉している連中だって、お伽話の時代の神同士のいざこざから根に持ってやがんだ。あいつら、ギムレーもナーガも覚えちゃいねえかもしれねえのによ。だからおれもおれの気分次第で、愉快かそうでないかで物事を決めて来たって訳だ。
 確かにあの戦も最悪だったが、王位に就いて蓋を開けみりゃ、ギムレーとそれを信奉する坊主どもがやって来た事におれすらも震えが来たもんだ。まあ、王になってもギムレーの司祭にはどうする事もできんがな。ペレジアにとっちゃ王位なんざ、ただのお飾りよ。じゃなきゃ落ちぶれて地獄の底で塵芥同然に這いつくばっていた男を、誰が好き好んで玉座まで引き上げるんだ。
 

 まあ、今となってはそんな事はもうどうでもいいがな。王としてのおれはとっくに死んだ。ペレジアなんて国はどうでもいい。国を棄てたのも、戦争を起こしたのも過去の事だ。とにかくおれは今から死ぬんだ。くっだらねえ、くそ溜めの中で生まれたがきが、何かの間違いで一国の王になっちまって、今までの憂さ晴らしのように好き勝手暴れ回り、結局王位を追われて海賊の下っ端以下の扱いで切り捨てられて死ぬ。因果応報だっつんならそうじゃねえの?ほら、じわりと足の先から冷たくなってきやがった。これが死だ。笑える。
 
 今際ってのは随分と静かなもんだ。海っぺりだからか、波の音がいやに響く。そう言えば、海賊の奴らの声すらしねえ。弱い者相手に力任せに略奪しまくっていた連中だ。戦略や組織力なんてもんはありゃしねえ。数だけは多かったから何とか持つとは思ってたが、こうも手っ取り早く片付けられちまうとはな。
 おれを散々顎で使っていた頭領の死体でも拝んでやろうかと思ったが、首すら満足に動かせねえ。空しか見えない。よく晴れた空だ。そして、おれを恨むイーリスの連中に囲まれて。まるで見送られるように。おれもおれを蔑んできた連中の分だけ、いや、それ以上の数の人間を始末した。本当に下んねえ理由でよ。そいつらからすれば、こんな死に方すら勿体無いはずだ。

 
 波と風の音に混じって、砂の音を踏む聞こえて来た。ずっと遠巻きにおれを見ていたイーリスの野郎どもの中から、誰かが一歩踏み出して来やがったようだ。おれに近付こうとしている奴がまだいるらしい。おれを八つ裂きにしたい野郎なんて掃いて捨てる程いるからな。ああ、回復の杖なんて使うんじゃねえよ。ここでじわりと苦しみながら死んで行く様を見物するもの、嬲り殺しにするのも好きにしやがれ。さあ、決めろ。

「……」

 おれは、その気配に初めて視線を空から少しずらした。
 それすらも重くて面倒だったが、死の冷たさよりも嫌な気分が肚に出来ちまったからだ。おれは喉に溜まった血を飲み込んだ。すうっと、何かが引いて、変わりに別のものが腹から弾け飛んだ気がした。
 信じられるかよ。おれの傍に、いるはずのない女が、おれが"死なせた"はずの女が突っ立ってる。見間違えるはずもない。その顔立ち、額の印。なんで。何で生きているんだ、お前が。

「……っ……ぉまえにゃ、ねえよ……!」

 気が付けば口が動いていた。何もかも面倒だったはずなのに。今ここで"そいつの"顔を見た瞬間、面倒やら諦めなどという感情はすっかりなくなった。どうでも良くなくなっちまったんだ。自分でもおかしいと思うほどに。喉から血がせり上がる。熱いわ生臭いわ息苦しいわで不愉快この上ない感覚全てと、内臓(はらわた)を吐き出さんばかりに、おれは叫んでいた。

「お、れは、お前には―――!!」

 突然叫んだもんだから、イーリスの野郎どもは驚きやがった。だが、傍に突っ立ているこの女だけは、ただ茫然とおれを見ていた。どこかおかしい。おれの知っているあの女ならば、きっと憐れみを前面に出しておれを見下ろしていただろう。憐れみと慈しみ。おれはこの女の向けてくる優しさもどきが反吐が出る程大嫌いだった。だがそれすらせず、しかし、憎しみなどの感情も見当たらない。この女は、ただおれを"見ている"だけだった。

「姉さん、下がっていてくれ」 
 クロムの野郎がそう呼ぶからには、やっぱりその女はエメリナなのだろう。胸糞の悪い物を全て吐き出したせいか、おれはまた笑いがこみ上げてきた。血はまだ喉から溢れ出るが、気にせずおれは笑い続けた。蚊のようなか細い声しか出ねえが、これでも腹の底から笑っていた。周りの連中は眉を顰めている。狂人でも見るような視線だ。それには慣れている。狂っているのは自覚しているからな。普通の感覚なんざ、生まれた時に母親の腹の中に落っことして来ちまったんだ。だが、それでもエメリナだけは何の感情もない目でおれを見続けていやがる。以前の慈愛に満ちた目ほどではないが、その目もおれの胸を悪くするのに充分だった。

「おっ、おれは……お前だけにゃ、こ、ころされてたまるかっ……おまえだけには」
「貴様、何を」
「ほかの、やつ、なら……でもいい―――だが、な、おまえ、は、おまえだけは」
 血を砂に溢しながらも、おれはエメリナに向かって言い続ける。そうだ。おれはお前にだけは殺られる訳にはいかねえ。道理や正当な理由などない。ただ、おれはお前が気に入らねえ。それだけだ。お前の親父がギムレー教徒を忌み嫌っていたようにな。他の―――おれが歯牙にもかけなかった下んねえ奴に殺されるのは仕方がねえ。だが、お前だけは、お前だけにはおれの命をやりたくはなかった。おれは最低な人間なんでね。そうする位なら、おれが今までやった拷問や仕打ちを全て受けてから死んでやる。
 
 クロムがエメリナを背にやりながら柄に手をかけた。そうだ。それでいい。クロムよ、お前がやれば丸く収まる。お前はペレジアの民の為とか綺麗事を並べるが、ペレジアの民も、おれなんざもう覚えてる奴はいねえ。あいつらは、ただギムレーの為に生き、ナーガを信奉するイーリスを憎んでいる。それが長年かけて血に刷り込まれている。おれは面白がってそれを利用しだだけだ。それでも民の為だとかはな、本当に民の為を思って失敗しちまった奴が言う言葉だ。

 おれはもう指の先ほども動かす力も無くなっていた。クロムの野郎も一向に止めを刺す様子もない。このままでもおれは充分に死ねる。虫けらのような格好で。お前らそれでいいのかよ。このまま、死ぬぜ。
 よく晴れた世界が霞んで来た。ぼやけた世界でも、あのくそ汚かった貧民街よかずっとましだ。あそこは町並みも汚ければ、住んでる人間の心も汚れきっていた。間違っても飢えと寒さで死にそうな女と"がき"に手を差し伸べる奴なんざ一人もいねえ。
 その母子を蔑みの目で見ながら通り過ぎる人だかりの向こうに、高い山があったなあ。朝日がかかると、きらきら光って眩しかった。そうこんな空のように。野良犬よりも貧弱な体つきをしていた"がき"は、空きっ腹を抱えて毎日それを飽きもせずに見上げていた。あんなきれいな場所へ行けば、心の痛みも空腹も寒さも母親の病気も全部なくなってしまんだろうなあ、なんて、空腹のあまり幻想まで持っちまってよ。急にそんな事を思い出しちまって、おれはクロムの後ろの女を睨みつけた。ああ、本当に笑える。
13/01/08   Back