君にあげるよ



 夏も盛りな季節。日差しは朝から燦々と降っている。そんな誰もが起きがけから参ってしまうような日なのだが、アズールはいつにも増して上機嫌に野営地を歩いていた。鼻歌までも聞こえる。水場へ辿り着くと、顔を洗い、髪と衣服を整える。この前市場で買った香水も忘れずに。
 
 この日は彼にとっては特別な日。
 かと言って恋人の記念日ではなく―――いればいいと常々思っているのだが―――彼自身が生まれた日だった。
 ただ、今まで彼がいた世界では、そのような祝いを自身の事すら行う余裕などなかった。それゆえ、仲間たちも皆、今この世界で生まれた日だからと言って何かをする事はしなかった。

 それはアズールも然りで、誰かに特別に祝ってもらおうなどとは、考えてもいなかった。
 彼の頭にあるのは、この"特別な日"という付加を信じているだけ。

 実はぼく、今日誕生日なんだよね―――

 これを突破口とする作戦だった。つまり、ナンパを試みるのだ。
 
 しかし、彼の予定の予行演習は突如中断される。野営地の空気が急に張り詰めた。アズールもそれを瞬時に察して内心で溜息を吐く。今日は広場へは行けそうもないと。

 甲高い音が遠くで響いたかと思うと、兵士が小さな銅鑼を叩いきながら辺りを走り回っていた。アズールの予感は的中した。敵が待ち構えていたのだ。相手は恐らく屍兵だろう。彼の元来の世界で散々相手にして来たギムレーのしもべだ。
 
 意識を変え、自分の天幕へ走り出す。
 銅鑼の音を合図に、兵士たちが次々に慌ただしく武器を手に走って行く。行く先はこの軍の大将と軍師のいる天幕だろう。アズールも向かっていると、正面から見知った顔がひとり、他の兵士たちと逆の方向、つまりアズールに向かって走って来ていた。

「やあ、シャンブレー。まさか逃げる気じゃないだろうね」
 獣族の少年は、心底以外だという顔でアズールを睨みつけた。
「ばっ……見くびるんじゃねえぞ!お前を探してたんだよ!」
「ぼくを?」
 アズールが目を丸くしていると、シャンブレーは一振りの剣を投げて寄越した。アズールの天幕に置いたままだった、彼の愛用の剣だ。
「もしかして、これをぼくに渡しに……?」
「敵の知らせがあった時にはお前いなかったからな。探せって言われてたんだよ。おれの足なら広場まですぐだからな」
 シャンブレーは一息で喋ると、すぐさま引き返して皆の所へ行った。シャンブレーの自負どおり、彼の足は他の者に追随を許さない。さすがウサギと言うべきか。お陰でアズールは礼を言いそびれた。剣の柄にはタグエル秘伝の傷薬が括り付けられていた。
 アズールは急ぐ面々を眺めつつ頭を掻いた。最近では自分の姿が見えないと、皆々若い娘を引っかけに行っていると思われているようだ。あながち間違ってはいないのだが……


 屍兵を掃討して予定の道を進軍するという案が採用され、討伐隊にアズールも組み込まれる。
「アズール」
 一通り作戦の説明がなされると、隣にいた友人から名を呼ばれる。
「何?」
「昨日の君の訓練の様子を見ていたのですが……少々足がふらついているような気がします」
 この友は人を良く見ている。そして、人の不調に誰よりも早く気が付く。眼鏡で透視しているのではないかと噂されるほどだ。
「ああ、前にちょっと足を挫いてね。それがまだ治りきってないみたいだ。でも踏み込む時に少し痛むくらいだから、何も心配いらないよ」
「いえ、ほんの少しの事が命取りになりかねません。今はちゃんと対処していられないので、これを使ってください」
 ロランから渡されたのは一種の気付け薬で、服用すれば一時的だが身体が軽くなり、機敏さが増す。即効性だが、効果とは裏腹に身体の負担は軽い(それでも多用は禁物だが)。
「ありがとう、ロラン」
 アズールは素直に受け取り、粉薬を水で流し込んだ。軍師の説明によれば、敵の数はそれほど多くはないらしい。薬の効力が切れるより先に、戦闘は終わっているだろう。

 山道へ隊が差しかかると、報告通り、木々の影に屍兵の姿があった。イーリス軍だから、という訳ではなく、人の姿を見れば誰かれ構わず襲いかかる。アズールのいた未来の世界と同様だった。魂亡き兵士の残忍な所業を、アズールは何度も目にして来た。
 
 ロランがくれた薬のお陰か、足の痛みが全く気にならなくなっただけでなく、身体がやけに軽く感じた。アズールは目の前に繰り出し、襲いかかる屍兵を次々と斬って行く。彼らは意思がないせいか、群れ立っているだけで、数を生かした戦術などもなく、ただ人を見つけては本能のままに襲いかかる。個々が強靭であればそれなりに苦戦するが、今回はそうでもないようだ。

 それでも油断は禁物であるはずだが、予定を潰された鬱憤もあり、剣を振る腕がいつもより雑になっているのを本人は気付いていない。敵を斬り結ぶうちに、山道から木々が生い茂る横道に入り込もうとしていた。死角で殺気がするのに気が付いた。振り向いた頃は既に遅く、敵の剣の影がアズールの真上にかかっていた。
「……しまっ……」
 己の剣で受け止めるより先に、脇腹に衝撃が走った。アズールの身体は真横に転がり、山道の広い場所に戻った。
 不覚だ。痛みよりも驚きの方が勝り、顔を上げると怒りがそれを上回る。目の前に、鱗に覆われた尻尾がぷらぷらと揺れていたのだ。一撃を食らわせたのは、信じられない事に敵ではなかった。
「ジェローム!酷いじゃないか!」
「死ぬよりましだろう」
 友は上空から言い放った。夏の日差しだと言うのに、仮面を跳ね返す光はやけに冷たく見える。きっと彼の心を現しているに違いない。ジェロームは倒れたアズールを尻目に、颯爽と愛騎を飛ばした。

「ちっ……くしょう……!」
 痛み出した脇腹を押して、アズールは跳ねるように立ち上がる。倒れていた彼にとどめを刺さんと剣を振り上げる屍兵が視界に映り、起き上がった勢いで一刀の元に斬り伏せた。
「―――いい!」
「え?」
 屍兵の崩れ落ちた向こうに、あたら感銘している様子の友が見えた。派手な所作と台詞で、アズール以上に隙を作るのはこの時代でも評判だ。
「今の!今のは何と言う技だ?」
「いや、別に技という訳じゃあ……起き上がったら屍兵がいただけで……」
「うむ……敵の攻撃に一度はくじかれるものの、内に秘める炎は消えてはおらず、油断して近付いた敵を一刀両断……その名も……」
「ウード、今戦闘中だから」
 と、言うものの、友は新たな技名を捻り出すのに余念がない。屍兵の数は目に見えて減っているのはわかるが、木々生い茂る中、どこに潜んでいるかわからない。アズールの懸念は的中し、木陰から矢を番え、傍の仲間に向けている姿が見えた。アズールは一も二もなく飛び出した。だが、アズールの気配に気付くと、すぐさま鏃を彼に向けて弦を離した。

 鋭い痛みが腕に走り、呻き声を噛み殺す。矢は真後ろの土に突き立った。
「アズール、大丈夫か!」
 駆け寄って来たウードに、アズールは片手を挙げて大丈夫、と示した。
「くっ、おのれ……流れた戦友(とも)の血は無駄にはせん……!」
「あ、もう止まったか……」
 ウードの頬は上気し、手にした剣で弓兵に斬りかかる。相手の兵も冷静に(とは言っても、屍兵が感情を見せているのを見た事はないが)鏃をウードに向けて応戦しようとしていた。

「見よ、アズールの魂で解放されたおれの力を……!ソウルフルブリッジ=ルナティック!!」

 訳の分からない叫びがしたかと思うと、屍兵は黒煙を上げて崩れ落ちた。ウードの手には青銅製の弓があった。そう言えば、最近彼は弓が使えるようになったと言っていた。

「ありがとう。助かったよ」
「なに。戦友の仇は討たねばならん」
「いや、ぼく生きてるから」
 思わずそう返すと同時に、角笛の音が一面に響いた。その音にアズールは胸を撫で下ろす。
「終わったみだいだよ」
 当のウードは友の仇を討ったという場面に顔を恍惚させ、アズールの言葉など耳に入っていないようだ。更にぶつぶつと何かを呟いている。断片的に聞こえた言葉から、先刻の技名をより凝ったものにしようとしているらしい。取り敢えず、ウードはちゃんと生きていると軍師殿には伝えておこう。アズールは他の兵たちが集合している隊列へ急いだ。




「傷はねえか」
 回復の杖を肩に担ぎ、ブレディが戻って来た兵たちに次々に声をかけていた。アズールとも目が合うと、近付いて身体の様子をぶっきらぼうに尋ねる。
「少し怪我しただけだよ」
 と、アズールは簡単に手当てされた腕を差した。そうか、とブレディは素っ気なく答えて、また他の兵たちに声をかけてはライブの魔法を施して行った。傷も痛みも癒える回復なのだが、施された兵士はなぜか強張った顔のままだ。

「ああ、それからな」
 ブレディは回復の杖を怪我した兵に光らせたまま、首だけアズールに向けた。
「向こうで茶ぁ用意してるから飲んでけよ」
 低く響く声と鋭い目付きは、不参加は許さぬと語っていた。そんな幼馴染の強面に、アズールは笑って頷いた。

 言われた場所には、折りたたみ式の茶卓の上に、茶器がきちんと揃えられ客を待っていた。首を巡らせても、傷の手当てや報告に走る兵士ばかりが見える。アズールはそこまでの役目は与えられておらず、ひとまず茶会に呼ばれる事にした。椅子に腰かけ、茶会の主を待っていると、真横にふっと影がかかる。
「アズール、ご苦労様です」
 母は照れ気味に言った。
「ただいま、母さん」
 母にそう言ったのは何年ぶりだろうか。戦場ではなく、遊んでいた野山から帰った幼い頃だった。一端に剣を握る年頃になり、しかも、記憶よりずっと若い母に対すると、照れ屋でなくとも恥ずかしい。

「そう言えばアズール、今日誕生日だったんですね」
 オリヴィエは持っていた盆を卓に置く。銀の菓子皿に焼いたばかりの菓子が並んでいた。
「これくらいしか出来なかったんですけど」
「とてもおいしそうだよ。ありがとう、母さん」
 誕生日に何かをしてもらった記憶は、父母にただいま、と言った記憶より遥かに遠い。

 増え続けるギムレーの兵とは真逆に、対抗できる人間は数を減らして行った。人は肩を寄せ合うようにして生きなければならず、平時の社会活動も絶え絶えで、農耕もままならない。常に物資が不足していた時代。それがアズールの世界だった。

 だから過去へ来て、アズールは目を見張った。彼が降りた時も、イーリスとペレジアがいつ戦争を起こすかどうかの一触即発の時勢であった。
 それでも都から離れた田舎は、のどかな自然が広がっていた。未来では、いつ屍兵と戦闘が始まってもわからない中、畑を怯えながら耕していたと言うのに。あんなに広く耕され、風に麦穂が揺らぐものだったのかと。

 手に取った焼き菓子を噛みしめた。バターが焦げる匂い。ギムレーの支配する世界では味わえない、とても贅沢なものだと思う。
「おいしいよ。母さん、ありがとう」
 焼き菓子を初めて口にした時のような口ぶりで言うと、母は頬を染めてうなずいた。
 しばらくして友人たちの姿が見えた。誕生日など、さほど特別ではないと思っていたが、こういうのも悪くない。
 本来の自分の世界でも、ささやかながらに祝えるよう。そう願わずにはいられなかった。
 

 
12/08/15   Back