僕の首に、折れるくらいに巻きついて

 見知った面々とすれ違う度に、皆首に巻かれている襟巻きを見ては、暖かそうだねと感想をくれる。ヘンリーはそれが嬉しくて仕方がないようで。太陽も高く、気温も暖かい時刻でも常に青色の襟巻きを身に着けていた。無論、それを編んだのはヘンリーではない。街へ赴いた時に求めた物でもない。
 襟巻きを褒めた仲間たちも、その襟巻きが誰の手による物かは察しが付いていた。敢えて出処を問う事はせず、冷やかしを含んで声を掛けていたのだ。

「今日もね、いっぱい褒めてもらったんだよ〜」
 飛び跳ねんばかりに、ヘンリーは報告する。この襟巻きの製作者に。
「そ、そう。良かったわ」
 ティアモはその報告を聞くたびに、複雑な気持ちを胸に含む。その襟巻きは、成り行きで彼に渡してしまった物。本来は別の人物の首に巻かれる予定だった。いや、希望だった。成される可能性は確実とは言えなかったのだ。

 ヘンリーの首に収まっている襟巻きを見るたびに、ティアモの胸の裡には罪悪感が育っていた。
 襟巻きを編んだ当人なのだから、それをどんな思いで編み上げたかは痛いほど知っている。秋風が身を震えさせ始めた頃だった。真っ先に脳裏に浮かんだのは襟巻きだった。あの青の髪にはどんな色が映えるか、どんな質の毛糸が、あの人の首を一番温めてくれるであろうか。もしかすると、既にあの人の奥方が用意しているかもしれない。自分の編んだ襟巻きの行方が簡単に想像ついていても、足は自然と市場へ向かい、編み棒と毛糸を求めていた。

 深い青色の毛糸は、ヘンリーの薄い銀の髪にも良く映えていた。それも仲間に指摘される事も多いのだと、以前無邪気に教えてくれた。しかしその毛糸の色にどんな意味を込められているのか、ヘンリーは恐らく知らない。ティアモが襟巻きを渡しあぐねいていた場面に遭遇した彼だが、渡そうとする相手を、完成した襟巻きを手に溜息を吐いていた理由も深く訊こうともしなかった。渡す勇気がなく、結局宛先を変えたティアモに対して、彼は純粋に感謝を述べた。それがまた、ティアモの胸の中の罪悪を育てていた。

 本当に彼は、(ティアモにとっての)いわく付きの襟巻きを心から気に入っていた。傍にいるティアモだけでなく、軍の仲間たちにもその愛着は伝わっていた。ティアモまで「本当にいい物を寄越したんだな」と揶揄されるくらいに。
 確かに、編み目ひとつひとつ丁寧さを心掛けた品ではある。今まで編んだ物の中でも、良い出来ではあったと自負していた。試しにも己の首には巻いていないが、編んでいる最中にも、優しい暖かさが手に触れていた記憶がある。本来の人物の首は暖めはしなかったが、心から喜んでくれる者の襟元を暖めているのだから、この襟巻きを作った甲斐もある。ティアモはそう無理矢理自己完結していたのだ。
 余談だが、手製の襟巻きをヘンリーに渡した翌日、本来の宛先の首には、彼の奥方ではなく、彼の従者の手による襟巻きが巻かれていた。しかも、その翌日は別の色の襟巻き、さらに次の日はまた違う色と模様が、そして次の日にも、一体どこにそんなに編む時間があったのだと疑問に思うほどに凝った襟巻きが主の首を温めていた―――
 

 秋風もいよいよ寒波へと変わろうとしていた。ヘンリーの首の襟巻きも、機能的な意味を強める様になった為か、または飽きたのか、兵士たちからの冷やかしの声は、ほとんど聞こえなくなっていた。そうであろうとなかろうと、そもそも気候がどうであろうと、ヘンリーが襟巻きを手放す事などは万が一にもないのだが。

「いよいよ寒くなって来たわね」
「そうだねぇ」
 指輪を受け取ってから、毎朝彼の身なりを整えるのはティアモの日課になっていた。戦争中で各地を転々としているせいもあるが、この軍の、特に男たちは身だしなみに無頓着な兵が多い。身奇麗にしていろとは言わないが、見ていて不快になるほど薄汚れている様は辟易してしまう。過度の不潔は他人への不快感だけでなく、健康を害する場合もあると口酸っぱく忠告しているのに。清潔を保つ環境は、毎日ではないが用意してあるのだが。
 ヘンリーもその男たちの一人だった。いや、彼の場合、他の男たちのようにただ面倒だという理由ではなく、身ずまいを整える概念がなかったと表すべきか。放っておけば、季節感も場面も何もない、ちぐはぐな服を平気で纏っている。それでティアモが手を出すようになったのが始まりだった。
 ティアモが用意しなければ、長年の習慣で身に着けている物以外は手に取らない彼だったが、件の襟巻きだけは、率先して首に巻いていた。今は襟巻きもいよいよ必要な時節ではあるので、ティアモは罪悪感を胸に押し留めるだけに至っている。

「でも、君の襟巻きが暖かいからね。平気だよ〜」
 そう言ってくれるだけでも充分ではないか。胸がちくりと痛むも、ティアモは己にそう言い聞かせていた。そろそろ雪も降るようになるんじゃないかしら―――そう返事しようとした時、いつもは目に止めないようにしていたヘンリーの首元、正しくは首元の巻かれた襟巻きが目に付いた。
「あ」
 思わず声を上げ、指先で襟巻きの一部分を掬い上げる。
「これ……」
「え?」
 ティアモの拇指と怪訝な目線の先をヘンリーも追う。
 全体的に色褪せて来たが、特に黒ずんだ汚れの部分がヘンリーの視界に入る。しかも、どこかで引っ掛けでもしたのか、ところどころ小さな穴まで空いているではないか。
「あれ〜?どこで付けたのかなあ〜」
 先日調合したまじないの薬がかかったか、屍兵との戦いで出来たものなのか。記憶を辿るも、思い当たるような節は見当たらなかった。

「戦っているのだもの。こうなってもおかしくないわ」
 さらりとした答えは、ヘンリーには腑に落ちないらしく、彼は首を傾げていた。屍兵相手にすれば、いくら後方の魔道部隊と言えど、無傷では済まないのは経験しているであろうに。それとも、この襟巻きの変調に、心の奥で安堵していたのを悟られてしまったのか。彼は人に対して無関心だが、人の心の機微には敏感なきらいがある。
「折角編んでくれた物なのに、汚してごめんよ」
 どうやら、襟巻きを傷付けてしまったのを気にしているようだ。
「いいのよ。襟巻きも本望だわ」
 そう言って、ティアモは手をそのまま襟巻きに掛ける。その瞬間、ヘンリーは首を守るようにして反射的に身を引いてティアモの手を拒んだ。
「どうしたの?」
 ティアモは目を丸くしていたが、当のヘンリーも当惑していた。が、首元を守る仕草はそのままだった。
「いいんだ。このまま着けておくよ」
「放っておくと、穴も汚れも大きくなるわよ」
「いいよ。大丈夫だよ」
 彼は首を振る。あくまで襟巻きを外すのを良しとしないようだ。駄々をこねる子供そのものだ、とティアモは肩を竦める。
「大丈夫じゃないわ。汚れが目立つと見た目が悪いし、穴も大きくなったら風も入って来て、寒くなるのよ」
「それでもいいんだ。だって、君が編んだ物だから」
 ヘンリーの言葉に、ティアモは魔法にかけられたように硬直してしまった。
「待っ……」
 魔法は案外すぐに解けたが、口が完全に動く前に天幕の口布がふわりと舞う。彼と入れ替わりに、冷たい秋風が入り込んだ。ティアモははっとして、秋風を切って天幕を飛び出す。必死の形相に、すれ違った兵が驚いて身を引いたほどだ。
「ヘンリー!」
 ティアモは足に自信はないが、見慣れた呪術師の外套にはすぐに追いついた。彼の背中に一も二もなくティアモは名を叫ぶ。呪術の実験用に誂えた天幕の近くだったせいか、周囲には誰もいない。これ幸いと、ティアモは足を早める。
「あれ〜どうしたの〜?」
 先刻の思い詰めたような様子とは打って変わって、ヘンリーは普段のゆっくりとした口調で振り向いた。忘れ物でもした?と、言うや否や、ヘンリーの体は天幕の中へ押し倒された。突然の事に、さすがの彼も悲鳴の声を上げる。
「ど、どうしたの、いきなり……」
「……ごめんなさい!」
 謝罪は、彼を押し倒した事に対してではない。ティアモは馬乗りになった勢のまま、持っていた短剣の鞘を抜いた。薄暗い天幕へ僅かに差し込む陽の光に、白刃がぎらりと跳ね返る。鋭利な刃を目の当たりにしてヘンリーが目を丸くしている間に、短剣の刃はヘンリーの襟元に差し込まれた。彼の首ではなく、首を守っていた青い毛糸の衛士がぷっつりと両断される。
「あ……」
 驚きや恐怖で声も出なかったようではなく、ヘンリーは呑気にその様子を眺めていた。
「ごめんなさい」
 最初から、こうすれば良かったのだ。いや、こうすればとは、襟巻きを暴漢の如くの所作で切る事ではない。ティアモは呪術師ではないが、強い気を持って編めば、想い人への念は宿ってしまうのだろう。ヘンリーは襟巻きを受け取った時からそれを察していたに違いない。

 ヘンリーは身を起こすと、両断された襟巻きを両手で支え眺めていた。あれだけ執着していた襟巻きが使い物にならなくなったのだが、大して感情を波立たせはしていないようだ。
「あれ〜いいの〜?」
 逆に彼はそう問いかける。とうにヘンリーの襟巻きなのに。ティアモの懸念が的中していた証拠だ。彼がただ、暖かい襟巻きに喜んでいるだけだと考えていたのが、どれほど愚かな事か。
「いいのよ。これで」
 力なく、だが、安心した調子でティアモは口を開いた。
「本当に。だってもう"ない"もの」
「だよね〜穴が空いたのもきっとその証拠だよ」
 ヘンリーはからからと笑った。いつもは緩い含み笑いを見せる彼だが、今回は特にご機嫌なようだ。ティアモは更に脱力する。最初から彼は知っていた。襟巻きに込められた想いも、今のティアモの心の中も。だから、青い襟巻きを首に巻きつつ、ティアモの夫であり続けていた。
「じゃあどうして使い続けていたの?」
「うーんとね、下手な呪術具よりも念が篭っていて、もらった時は結構気持ち良かったんだ〜今はしっくり首に馴染んでいるから着けてただけだけどね〜」
 使い物にならなくった青い毛糸の束をひらひらさせる。当時は、相当迷いながら編んでいた記憶だったのだが。どうも煮え切らない、捨てきれない部分が毛糸と一緒になって編みこまれてしまったと言う訳か。改めて、己の引き際の悪さに辟易してしまう。それでどれだけ彼を傷付けてしまったか、いや、傷付いているようには見えないが、人として、この人の妻として自分が許せない。
「ヘンリー、ごめんなさい、本当に」
 赤い髪は、音がせんばかりに深く下げられた。その頭を、ヘンリーの両腕がふわりと包んだ。あまり馴染みのない、薬のような匂いが首の辺りに包まれる。
「新しい襟巻き編んでくれる?」
「ええ、勿論よ。今度こそ、あなたの為に」
「やったあ。次はねえ、もっと念を込めてくれると嬉しいなあ〜」
 無邪気にはしゃぐ声が、呪いの襟巻きを求められているように聞こえ、新たな複雑な気持ちが胸に生まれる。だが、テイアモの脳裏には、彼の髪に似合う毛糸の思索が同時に始まっていた。
 

 
13/10/03   Back