豪傑王の長靴




 皮の長靴は、長旅と戦禍を刻んでいた。
 その足が、一歩また一歩進む度に、放浪の王の歴史となる。今度はイーリスだ。供ひとり付けず、フェリア人らしい毛皮の外套と、最低限の物資を入れた嚢、使い慣れた斧を引っ下げて。フェリアの家臣ならばいつもの王と諦めを混ぜて対応するだろうが、イーリスの門兵はそうはいかない。何かの不手際で、フェリア王来国の報せが届いていないのかと、顔色を失い、同僚と慌て出す。

「ああ、書簡とかそんなの送ってねえよ。ちょっくら顔を出しただけでな」
 まるで、一般市民が通りがかったついでに、近くに住む友人に挨拶に来た感覚の口ぶりだ。そんなにも軽々しく聖王への謁見を求められて、門兵らが戸惑うのも無理もない。
 フェリアの西の王バジーリオの放浪癖は、西フェリアの悩みの種でもある。何度も止めるが、趣味だと言っては家臣が目を離した隙に忽然と姿をくらます。大柄な体躯を持つが、身のこなしはそこいらの盗人より軽い。そんな王の悪癖を、家臣らは必死に隠していた。王の放浪癖が知れ渡っては、他国に隙を見せるも同然。本人は知られたらお忍びの意味ねえだろ、と言ってはいるが。

「って事で通してくれや。ま、こっちもいきなり来た身だ。クロムの暇が出来るまで待つつもりだ。何日でもな」
「は、はあ……」
 兵の一人はつられて頷くと、バジーリオを門の中に引き入れた。

 聖王クロムも、この型破りな来訪に驚くも彼らしいとすぐに笑って見せた。政務は多忙には違いないが、友に逢う時間ならば惜しみない。報告を聞いてすぐに来客の間に向かうと、バジーリオは幼いルキナを抱いて、厳つい顔を崩れさせていた。その姿は、久しぶりに孫に逢えた祖父そのものだ。

「そんなに娘が可愛いなら、あんたも嫁を迎えて子供を持ってみればどうだ」
「はん、女は好きだが、女房ってのがどうも苦手でね。それに、おれの子供みてえなのはもう何人もいるしな」
 そう言って白い歯を見せた。
 バジーリオは卓越した武術の腕を、惜しみなくフェリアの若い兵士に叩き込んでいる。今の西フェリア兵全てが彼の弟子と言っても過言ではない。特に優れた戦士ならば、出自を問わず次代の国王候補として傍に置いているのは有名だ。

 ルキナの手には、バジーリオの土産らしき模造剣が握られている。三歳の子供が軽々と片手で持てるのだから、軽く、殺傷性などないのであろうが、クロムは眉を寄せずにはいられない。
「どうせ、お前もいずれ教えるつもりなんだろう?」
 クロムの顔をひとつだけの目で一瞥し、すぐに、なあとルキナに微笑みかけた。ルキナは嬉しそうに、それが剣だと意識もせずに無邪気に振り回している。
「本人が望めば、だ。無理強いはしない」
 クロムの脳裏に、もう一人のルキナが浮かび上がる。彼女は幼少時から、本来の父親から剣を教わって来た。まだギムレーの魔手は、イーリス国軍が何とか食い止めている状況であったが、それが崩れると、ファルシオンを受け継いだルキナの手にすべてが委ねられるようになった。
 ギムレーを倒し、戦に明け暮れた国家は、今は各々の国の安定に心血を注いでいる。再び戦乱の暴風が、大陸中に吹き荒れるかもしれない。友の犠牲の上に成り立ったギムレーの消滅が、復活するという悪夢が訪れる可能性も否定はしない。だが、クロムは"二度"も自分の子を戦に駆り出しはしないと誓っていた。

「ルキナよお、お前、剣やってみるか?斧でも弓でもいいぞ」
「うん!」
「……バジーリオ」
 誘いかければ、何と言われているのかよく分からなくとも元気よく頷く年の頃だった。冗談とは理解しつつも、もう一人のルキナの背景とどうしても重なってしまう。おまけに、バジーリオがルキナに固執する理由を、クロムは察しが付いていた。この子が生まれたばかりの時も、言っていたのもある。

 要するに、バジーリオは、"ルキナ"の剣の腕に惚れ込んでいる。数年前、数奇な縁で、ルキナがフェリアの国運を決める対決の役を請け負ってから、見込み有りと目をかけていたのだろう。翌年も依頼に自ら赴いたくらいだ。無論、本人は断ったが。
 ギムレーを滅ぼして後、その"ルキナ"はイーリス城に一時期身を寄せていたのだが、小さなルキナが物心つく前にいずこかへ旅立った。行方は誰も知らず、噂すら聞かない。
 ゆえに、バジーリオは次に、このルキナへ期待を寄せ始めたという次第だ。戦乱の時代ならいざ知らず、隣国の一の姫に、何という大胆不敵な青写真を描くのかと唖然としてしまう。

「前にも言ったはずだ、バジーリオ。例えルキナが剣を選んでも、絶対にフェリアの決闘などには行かせんとな」
「本人が望めば、だろ?」
 釘を刺したつもりが、難なく返されてしまった。閉口するクロムを尻目に、ルキナに向かい、バジーリオのおじ様が強くしてやるからなあ、と頭を撫でる。
「あのな、バジーリオ」
 おじ様と自ら呼ぶのが妙に気持ち悪い。クロムの腹の底に収まりの悪いものが沈殿している気分だった。
「そもそも、自国の政治の主導なんて大切な権利、他国の人間に委ねる方がおかしいと思わないのか」
「ほう、お前も王様らしい感覚になって来たじゃねえか」
「嫌味を言うな……って事は、自分でもおかしいって思ってるって事だな?」
 まだ姉エメリナが聖王だった時代を思い出す。あの頃は、父が起こした戦争の傷もまだ残り、ペレジアの悪漢どもが破壊と略奪の限りを尽くしていた。大幅に縮小された軍の代わりに、自ら私兵を率いて国を護る。それが己の役目だと自負していた。恥ずかしながら、王族として国家の王族の気品や常識は、今よりもずっと欠落していた。友好国であった、フェリアの王の顔すら知らなかったのだから。

 バジーリオは欠片も悪びれず、大口を開けて笑うのみだった。
「フェリアは強き者に従うのが第一の法。そのフェリアの今の頂点はこのおれだ。決闘の仕方はおれが決めるのさ。それに、より強いやつの闘いの方が燃えるってもんだ。これはフィラヴィアも同意見たぜ」
「フィラヴィアも……」
「おうよ。フェリア人の祭り好きをなめんじゃねえぜ」
 バジーリオは白い歯と太い喉を惜しみなく見せて豪快に笑う。
 まさか、この豪傑王の歯止め役と呼ばれているフィラヴィアすら、バジーリオと同じだったとは。やはり、フェリア人の本質は同じであったか。

「だからルキナもフェリアに来いよー。おじ様もまだぶらり旅がしたいしなあ。何なら、お前を西の王にして、おれが引退って手も悪くねえなあ」
「あのなあ……」
 身勝手な後継計画に、ただ呆れるしかない。どこまで本気か冗談か測りかねる。
 ルキナは聖痕を持つ第一王女だ。現在クロムの妻の身体に、新たな命が宿ってはいるが、現時点ではルキナがイーリスの後継者だ。そんな立場の娘をおいそれと他国へやる訳にはいかない。国としても、親としても。それに、バジーリオには、我が子同様に育て上げた優秀な戦士が幾人もいる。強き者であれば、手放しで受け入れるフェリアとて、今まで彼が手塩にかけた傑物らを押し退けて西の王座に座る訳にも行くまい。

「とにかく、あんたが放浪したいのが本音なのは分かった。だが、その野望にルキナを使うのは許さん」
「言うねえ、お父様」
「王としてだ」
「ははっ、同じ事よ」
 バジーリオは隆々と盛り上がった肩を柔らかくするように回し始めた。クロムもそれに呼応するように、胸元の襟を開け、マントを脱ぐ。
「本当はおめえさんも出て欲しいんだがね、王様はちとまずいんだよなあ」
「ああ。火の粉が降りかかる訳でもないのに、他国の問題に首を突っ込む王がいるか」
 バジーリオの頬は上がったままだ。
「ルキナ、ちいっとばかしお前の父ちゃんと遊んで来るからな。それが終わったら、またバジーリオおじ様と遊ぼう、な?」
「うん!おじ様、またね」
「いい子だ」
 隣室に控えていた乳母に、ルキナは抱え上げられる。颯爽と部屋を出て行く二人の面へ、ルキナの目線が近くなった。幼子の目にも、いつもの優しく、それでいて威厳のある父とはまた違った、一人の剣士の横顔が映っていた。  


13/08/15   Back