竜に生まれとて




   初めて同族と出会ったのは、千年を生きた頃だった。
 それまでノノの周囲にいたのは"ニンゲン"という種族だけで、ノノのように耳も短ければ、総じて寿命も短い。けれどもノノよりもずっと賢く、力を持っていた。いや、ノノも本来ならば、人間などは足元にも及ばぬような竜の力と智慧を備えているはずだった。だが、人格と知能の形成には生育環境が大きく影響していると証明しているように、物心つく前より檻の中にいた彼女にとって、人間とは、ノノよりもはるかに大きな存在となっていた。だから彼女は、檻を破れる力を持っているにも関わらず、千年近くの間、一度も抜け出そうとも考えた事もなかった。

 眠った時間も長かったけれども、でも、たくさんの物も見て来た。
 そう語る彼女を前に、いつも明るく快活なノノの胸の奥が急に痛み出した。ノノが歩んできた境遇に心痛めてくれる者は、この軍には少なくない。しかし、そんな者たちの前でも、ノノは常に大丈夫だと満面の笑みを見せてきたのに。

 ノノが身を置いた場所は軍隊であったが、彼女にとっては楽しい場所であった。珍しい生き物として扱われて来た長い年月が異常なのだと、彼らが教えてくれた。無論、痛かったり人が苦しんだりする姿を見るのは嫌だったが。好奇以外の視線がノノに向けられ、食事は暖かく人道的な物であり、何より、心から寄り添える相手がいる事がどれだけ幸せな事か。慕った相手は当然の事ながら人間なのだが、触れられる事に嫌悪はなく、むしろずっと寄り添っていたいと願い、周囲からからかわれつつもノノは臆せずに願いを叶える。相手は、苦笑いしながらも、小さな体を懸命にくっつけるノノを受け入れた。

 千歳までのノノは変化を知らなかった。
 檻と粗末な天幕、そして見世物小屋の中の世界は、思考も貧相なものにさせていた。彼女を包む天幕や檻、それを運ぶ馬車が時代による多少の技術の発達を遂げても、それはノノにとって知るべきところではなかった。彼女にとっては、檻どろこか己を使って金儲けをする人間の顔が変わろうとも、世界は変わるものだとは知らずにいた。変化、という言葉を知ったのは、人間の軍に拾われてからたった数年を経てからだった。

 ノノは、邪竜との戦いを終えると、伴侶の故郷で暮らすようになった。故郷の人たちはマムクートの突然の来訪に驚き、よそよそしい態度を取っていたが、ノノの誰にでも明るく接する態度に次第に警戒心を解いていくようになった。竜になってと請われれば快く竜石を使い―――夫はいい顔をしなかったが―――牛馬ですら重い荷の牽引も進んで引き受けた。イーリスの軍の一員になれたように、村の一員になれた事にノノは心から喜んだ。
 やがて夫との間に娘が生まれた。未来から来た子の言う通に、夫と同じ髪色をした、ノノと同じ耳の長い子だった。何より"未来から来た"娘そのものだった。家族からは勿論、村人からも心から祝福されたが、たた一つ皆が眉をひそめたのは、ンンという奇妙な名前にだった。
 しかしマムクートの血は早くから成長を遅くさせるようで、十になる頃には、村の同世代の子に比べると背の高さもかなり違いが見えた。それでも我が子の成長をノノも夫も当然ながら喜んだ。季節の移ろい、時が流れるさまをノノは千年を超えて始めて実感していた。

 
 生まれた我が子も、一人前の娘になったと夫婦で喜ぶまでに成長した。まだ伴侶は見つけられてはいないが、未来から来た"もう一人の娘"も、一向に伴侶や恋人がいるような様子は見られない。夫は眉間と頬の皺を更に深めて苦い笑みをした。足腰が立たなくなる前に、娘と教会を歩く事ができるのだろうかと。娘と同時期に生まれた村の子には、もうすぐ孫が生まれるのだと言う。

 冬になると木々は痩せ衰え、葉を全て散らそうとも、春になれば新たな芽を息吹かせる。竜族は寒さに弱い。種族によっては、冬は住処に籠ったまま動かない者もいると言う。ノノは人も、その繰り返しを永遠に続けるのだと思っていた。風の噂で、かつての仲間も永い眠りに就いたと聞いた。数年前には、王都から陰鬱な鐘が鳴り響き、都から遠く離れたこの山奥の村でも哀しむ声があちらこちらでも聞こえた。人の命は、マムクートに比べればほんのひと時なのだ。臥しがちになった夫を前に、ノノは打ちひしがれる。

 彼女の心中を察したのか、夫は枯れ枝のような手を若緑色の頭に乗せる。出会った頃と寸分も変わらない、艶と張りのある髪を。笑うとくしゃくしゃになった紙のような顔の夫とは対照的に、ノノのかんばせは、泣いても笑っても瑞々しく、そしてよく赤くなった。

 同族を求めて旅に出た娘"たち"には、手紙の出しようもなかったのだが、遠く離れていても察したのか、ノノの許へ飛んで帰って来た。家族の繋がりか、それとも竜族の力なのかは分からない。二人を前にノノは笑った。そしてノノは、葬儀を終えると、夫の棺を抱えて多くの飛竜が棲む竜の谷へと移り住むようになった。谷はヴァルム大陸の中でも温暖で湿度が高い地方で、谷には常葉の低木が密接に生えている。今まで暮らしていた村とはがらりと風景が変わった。

 人が嫌いになったのか。
 娘にそう訊ねられた事がある。ノノは首を振った。人が嫌いになった訳でも、寂しさ故に眷族の元を選択した訳でもないと。夫に先立たれても、人の中で生きるのもやぶさかではなかった。人は好きだ。物心つく前から、見世物のようにされたとてそう思うようになったのは、仲間と、そして伴侶と出会ったからだ。マムクートには永い年月が残されている。しかし、伴侶を見送った後は、一つの人生を終えるのだと確信していた。それが明日になるか、気の遠くなるような永い道の先なのかは分からない。ゆっくりと、ゆっくりとノノは終焉まで独り歩いて行く。例え木々の移ろいを忘れてしまおうとも、伴侶の姿と、一緒に暮らした記憶だけは決して褪せることはなかった。
 

14/06/08   Back