ともに、光り差す道を




 まだ空は暗く空気は刺すように冷たい。正直言えば、毛布から出たくはなかった。だが、身と気持ちを引き締めて寝台から起き上がる。予想以上の寒さに思わず身震いしてしまった。
 窓の外はまだ暗い。星は点在し、雲もぽつぽつと夜空に浮かんでいた。だが、夜更け独特の寂しさや冷たさは感じられなかった。闇色に染まっているが、それが幾ばくかもすれば白んで行くのを知っているからだろうか。

 いつもなら暖炉に火を灯すが、今朝はそれはせずにすぐに台所に向かう。竈に火を熾すと、羊毛の外套を羽織り、襟巻きを首に巻いた。イーリスはよく冷える。砂漠の国が隣にあるとは思えないほど、冬は雪も深く、外の世界を凍らせる。だが、これでもカラムの故郷よりは暮らしやすい。王都はやはり物資が手に入りやすく、暖は充分に取れるし、食料が商店に届かず困窮した覚えもない。
 
 しばらくして、彼の気配と物音で、ルフレも目を覚ましたようだ。ゆっくりと起き上がり、その寒さに咄嗟に毛布をたぐり寄せる仕草に、カラムは口の端を上げる。
「おはよう。今日は天気が良さそうだよ」
 そう声をかけると、温めた牛乳とパンが乗った盆を寝台の横の卓に置いた。盆を前に申し訳なさそうにして礼を言うと、ルフレは朝食を口にする。牛乳を温め過ぎてしまったのか、ルフレはカップを口に付けた瞬間、咳き込んだ。
 

 ルフレの身支度も何とか済むと、二人は灯篭を手に静かに扉を開ける。住宅街は完全な闇に包まれてはおらず、明かりが漏れている家も何軒が見受けれらる。カラムたちのように、家を出た者もいる。顔見知りの若者と"ルフレ"が軽く挨拶を交わすと(やはり、カラムは視界に入らないようで、若者だけでなく、近所の人は常にルフレの方に声をかける)、カラムはふと息子を思い出した。


 未来からやって来た息子マークは、ギムレーを斃した後、軍師の修行と見聞を広める為に旅に出た。聖王クロムが、父母の誼で士官の扉を開けてはくれたが、彼も他の未来の子らと同様、それを固辞した。修行を終えて母と共にイーリスに仕えるのだと告げて。時折様々な国から妙な土産物と一緒に手紙が届く。文面も土産も二人の知っている天真爛漫なマークのままではあるが、何とかやっているようだった。数ヶ月前に、新しい年の太陽を一緒に見ようと手紙を出したのだが。

「……マークは帰ってこなかったね」
 そうですね、とルフレも困ったように頷いた。

 息子は、遂に新年の日の出に間に合わなかった。すっかり忘れているかもしれないし、今頃慌ててイーリス王都に向かっているかもしれない。もしかすると、行く気はさらさらなく、身を寄せている土地の太陽を拝みに行っているかもしれない。何れにせよ彼らしい、と呆れに近い感情が湧いた。

 雪を掻き分けて作られた道を進むたび、二人と目的を同じくする人々が増えて行く。その頃には、闇が薄らいでいるのが見て取れた。太陽が顔を出すのも時間の問題だろう。
 新しい年の始まりの光。イーリス教の教義では、神竜ナーガが示す道標だとされている。悲しい事、辛い事も、犯してしまった過ちも全て改め、正しき道をナーガへ求めれば、等しく指し示されるのだと。
 カラムは隣で歩いているルフレの右手に目を遣った。今は消えているが、その右の手袋の下には印があった。クロム達が持つ聖王家の証と対する印が。最初は気にしている様子もなかったのだが、出自が分かった直後はかなり苦しんでいたようだ。

 頬を突き刺すような寒さが一層増した。冷たい風に潮の匂いも混ざっている。呼吸するのも苦しいが、同時に喜ばしい事でもある。
「ほら、見えて来たよ」
 海が一望できる丘には、すでに大勢の人で賑わっていた。みなナーガの光の祝福を受けたいと、寒さを押して来たのだろう。水平線が眩いばかりに光り、空を覆っていた闇色の幕が消えて行く。わあっと歓声が湧いた。

「ナーガ様の祝福あれ!」
「ナーガ様のお赦しあれ!」

 人々が口々に祝いの言葉を掛け合う。そんな中、ルフレはじっと陽が昇るのを見ていた。カラムは横目で妻を見遣る。この光を浴びて、彼女は一体何を考えているのだろうか。
「あのね、ルフレ」
 口を開くと、ルフレはカラムを仰いだ。
「ぼくはね、別にナーガ様に許してもらおうとか、道を示してもらおうとか思ってここへ来た訳じゃないんだ」
 ルフレは微笑んだので、カラムは胸を撫で下ろした。
「ここで許してもらうも何も、ぼく達はすでに本物のナーガ様に逢っているしね」
 軽い調子で言うと、ルフレの笑みはより深くなった。
「それに、自分の手で切り拓いただろう?」
 本来の運命ならば、ルフレは邪竜と魂が同化し、親友を殺し、世界を破滅に導いていたのだと言う。しかし、ルフレはクロムと共にその道に抗った。ギムレーの印が消えたのは、抗った証だとカラムは信じている。そして、打ち勝ったのだと。それが彼女の強さで、カラムの誇りだった。そして、自分の許へ戻って来てくれた事が、何より嬉しかった。
 
「―――じゃあ何でって……うーん、それは……」
 向けられた笑みが意地の悪いものになって、カラムの頬に突き刺さる。
「君と一緒に出かけるのが久しぶりだったから、かな?」
 口ごもりながら、最後の言葉は小さくなって答える。ルフレは今ではイーリス軍の軍師で、一方カラムもイーリス騎士の正規な叙勲の話を辞退し、自警団に残り、部下も抱える身となった。互いが不規則な軍隊努めでは一緒いられる時間も限られている。こうして二人でに出掛けるのは何ヶ月ぶりだろうか。

 左の指先が強く握られた。どうやら、ルフレの納得する答えだったらしい。
「来年もまた、こうして見に行けるといいね」 
 ぽつりとそう言うと、ルフレも深く頷いた。
「その時はマークも一緒だといいけど……」
 きっとそうなりますよ。今度はルフレがぽつりと呟いた。ああ、そうだね。とカラムは反射的に返事する。ルフレの言葉の意味を理解したのは、しばらくしてからだった。
 
 
13/01/01   Back