行方さがして

 

 何ヶ月ぶりかの城に、荘厳なまでの佇まいの広間に、いささかの緊張を含ませていた。 
 自警団は、イーリス騎士団傍に拠点を構えてはいたが、あくまで王子私設の軍隊。騎士たちのように王城へ上がる事などは滅多になく、活動も王都より離れた場所が主だった。それは、自警団の団長が正式に聖王に即位してからも変わりない。
 
 目の前にいるのは、王族とは言えど旧知の仲、いや、戦友と呼べる間柄の青年ではあった。城の外であれば、カラムすらも何の遠慮もなく接していた相手だ。しかし、この場では"聖王"と"非正式軍隊の兵士"だ。カラムはフレデリクから散々習い受けた作法で膝を折る。頭の下げる角度から指の先までの所作まで、実に細かい部分まで徹底的に仕込まれたのだが、それでも垢抜けないのは自覚している。

「本日は、お目通り叶いまして光栄の極みにございます」
 格式張った言葉に、むず痒さを感じているのは、カラムだけではないはずだ。頭上から「貴殿も壮健で何よりである。して、今日は何用か」と威を放つ低い声が震え気味なのがその証拠だ。クロムとしても、いつものように「いつの間にいたんだ」と気楽に話しかけたいところだが、王城内での立場と周囲の空気がそれを許さない。直接謁見できるだけでも特例の待遇と言えよう。

「旅立つ前にご挨拶をと思いまして」
 言い終える前に、クロムの眉が少し動いた。カラムが身に纏っているのは、宮廷から下賜された礼服だったからだ。およそ三年前、クロムが聖王代理に就任した際、様々な式典で自警団も王城や王家の領地へ赴く回数が増えた。みずぼらしい姿で城に上がられては困る、と眉を潜めた高官たちの進言で作らせた服だ。当てのない旅に出るのだと宣言している格好では、クロムに謁見出来るどころか、城の門もくぐらせてもらえないのだから仕方がない。

「フレデリクからそう言う噂があるとは聞いてはいたのだが……」
「申し訳ありません。フレデリク副長にも、正式には話していなかったものですから」
 無理もなかった。クロムは自警団どころか、イーリスの全てを率いなければならなくなった。現在も団長の名を冠してはいるが、今では形だけで、とてもではないが私設の軍に構っていられる状態ではない。
 それはクロムの従騎士でもあるフレデリクも同様で、今まで彼が取り仕切っていた入団手続きや、新兵の訓練などの実務は別の者が担っている。自警団を丸ごとイーリス騎士団に編入する話も出ていたが、イーリスを救った英雄として自警団は今も国民から人気が高く、そのまま自警団として据え置く事となった。騎士団とは違い、身分を問わない為に、入団希望者は平和な時代にも関わらず年々増えていた。
 
 フレデリクの不在は自警団の運営面にて大きな痛手で、さらに、古株のカラムすらも姿を消すとなると、本音を言えば望ましくはない。立ち行かなくなるわけではないが、自警団そのものの動きが鈍るのは間違いない。カラムの部下は引き止めはしたが、意外な事に、カラムの責をそのまま引き継ぐ同僚たちは、すんなりと送り出した。常に皆から一歩引いていた男が、周りの意見と反して決意をしていた事に、驚いていたのかもしれない。
 
 クロムも然り。ペレジアとの戦い、ヴァルム帝国との戦い、そして、ギムレーとの戦い。
 カラムはクロムに付いて大きな戦を幾つも経験していた。時折仲間から見失われる事もあるが、影から皆を守ってくれているのはクロムも良く知っている。彼が手放しで信用の置ける仲間のひとりだった。今後とも、自警団の要であって欲しいと、クロムは思っていたのだが。本人の望みならば仕方がない。旅立ちの理由はすぐに察しがついた。だから余計に。

「気を付けてな。何か必要な物があれば遠慮なく言ってくれ。できる限り用意しよう」
「ありがとう。その言葉だけで充分だよ」
 カラムどころか、クロムすらも自警団にいる時のような砕けた態度に戻っていた。後ろに控えていたフレデリクは一瞬だけ眉間に皺を寄せた。聖王相手に不躾な、との理由ではない。あれだけ時間をかけて仕込んだ礼儀作法が、四半刻も持たなかったからだ。

「しかしな……おれとしては、王都に残った方がいいと思うんだが―――」
 カラムを自警団に引き止めておこうという肚づもりでは、決してない。彼が旅立つ"理由"に、ひとつ心に引っ掛かってるのもがあった。

「みんなそう言うんだけどね―――でも、いいんだ」
 カラムも、クロムが何を言わんとしているのかは汲んでいた。友の心遣いに嬉しく思うも、首を振る。
「居ても立ってもいれない、と言うべきかな?君なら分かってくれると思う」
 確かにそうかもしれんがな、とクロムは半ば呆れながら腕を組んだ。"友"は、今、どこにいるか知れない。邪竜を自らの命と引き換えに滅ぼしたのだから。茜色の空に消え行くのを、誰もが見ていた。忘れるはずもない。その一方で、彼女はどこかで生きている。そう信じずにはいられなかった。クロムは言わずもがな、将来を誓い合ったカラムも。
 王都にいれば、ルフレの方から来てくれるかもしれない。クロムは淡い期待を抱いていたのだが、カラムはそうでもなかったようだ。本当は、すぐにでも探す旅に出たかったのかもしれない。国と自警団がある程度落ち着くまで居てくれた事に、クロムの方が感謝しなければならなかった。




 仲間たちにも、主にも見送られ、カラムは王都を出た。愛用していた鎧は、最後まで迷ったが、結局は置いておく事にした。幸いにも自警団の部下に売って欲しいと請われ、彼に微々たる額で譲った。クロムも充分な資金を申し出てくれたが、僅かな額と馬を一頭だけを望んだ。
 
 手がかりすらない旅は、正直を言えば、心もとない。皆の言う通り、王都で待っていれば彼女の方から逢いに来てくれよう。しかし、それは違う、とカラムは確信を持っていた。

 邪竜との決戦へ、始まりの山への道中、ルフレはひとりの時は暗い影を落としていた。分かったのは、ルフレの夫だったからだけではなく、いつものルフレであれば、カラムにすぐに気付くのだが、その時期ばかりはカラムの存在を、他の仲間同様見逃しやすくなっていた。
 
 余りにも思いつめていたので、思わず声をかけた時があった。
 名を呼ぶと、とても驚いて、それから誰が見ても分かるほどの作り笑いを見せた。どうしたのか、と尋ねると、ルフレは何でもありませんと、首を振った。歯がゆさを抱えて、カラムはルフレの隣に座る。押し込めた心を無理に引き出す強引さなく、ましてや異性に気の利いた言葉をかけられるような性格ではない。このまま彼も口を閉じてじっとしていれば、天幕内の空気に溶け込んでしまえばいい。しばらくして、暖かさと、少しの重みがカラムの背にかかる。カラムは、自分の存在が薄い事をこの時ばかりは神に感謝した。常日頃の悩みは、意外なところで役立つものだ。

 じっとそのままでいると、背中から小さくごめんなさい、と声がした。なぜ謝るのかは、カラムには皆目見当がつかない。ただ、謝る必要はないよ、と返すしかなかった。ぽつりと、ルフレの声が続けられる。

「死ぬのが怖いのは、誰もがそうさ。だけど、みんな覚悟を決めて戦っているんだ。誰も君が皆を死地に送っているなんて思っていないよ」
 ルフレはカラムの背中に、より強く頬と押し付けた。この時は、彼女は自分の能力が足らないあまりに、多くの兵士が犠牲になった事に対して懺悔しているかと思い込んでいた。

「ぼくだって、死にたくはないよ。だけど、今世界がギムレーの手に渡ろうとしている。そうなればいずれみんな死んでしまうんだろう?だから戦うしかないじゃないか」
 ペレジアとの戦いを終えて、田舎に帰る選択肢もあった。しかし、カラムは一度大きな戦争を経験して、何度も傷つき、死にかけても、自警団に残る道を選んだ。手紙に綴られた実家の親の望みには応えずに。ペレジアよりも圧倒的な軍事力と統率力を持ったヴァルム帝国へも、自ら立ち向かって行ったのは、他でもない、守りたい人が増えたからだ。当然、ルフレの戦術に不備はなかろうが、軍備に万全を期しようが、絶対に死なないという保証はどこにもないのも分かっている。どこにもないからこそ、自分の意志でここにいるのだと、カラムは妻にそう説き伏せた。

 しかし、翌日の戦いで、己はルフレの心の裡を全く理解していなかった事を目の当たりにしてしまった。消え行くルフレを前に、猛烈な後悔がカラムを襲った。彼女は、ギムレーを滅ぼす唯一の法を知った時から決めていた。
 誰かに決意を告げれば、誰もが彼女を必死で止めるだろうと、すぐに悟った。だから、ギムレーに止めを刺す瞬間まで黙っていたのだ。昨夜の震えは、死への恐ろしさ。兵士への懺悔は、危険な目に合わせ、時には犠牲を出している己が、死への恐ろしさへ震える事が許せなかった故なのだろう。

 邪竜が消滅しても、世界を破壊の未来から救った喜びより、脱力感の方が遥かに勝った。しかし、それを押し込めて、カラムは仲間とともに拓かれた未来を歩き出した。
 
 ルフレはきっとどこかで生きている。それがカラムにとって一縷の光だった。だから、カラムは普段のカラムでいられたのかもしれない。そして、自警団で国の治安を守る傍ら、旅立つ準備を進めた。長い旅になろう。もしかすると、旅に出て生涯を終えるかもしれない。だが、どんなに時間がかかっても、探し出してみせる。未来から来た息子とも、そう約束を交わしていた。
 マークも、最初は父に付いて行くと言って聞かなかったが、何とか説き伏せて軍師の修行へ向かわせた。終わりの見えない旅で若者の夢を潰す訳にはいかない。二人は、滞在する地域を逐次手紙で教え合ってはいた。カラムは、先日届いた―――とは言っても、書かれた日付は三月前だが―――手紙を何度も眺め遣る。文面から、持ち前の元気さは健在のようで、フェリアのバジーリオ王の紹介で、地方の小隊に身を寄せているらしい。修行の合間にルフレの搜索もしているようだ。

 絶対に、母さんを見つけましょう。
 マークの文字からは、そんな気迫が見て取れた。そうだね、とカラムはぽつりと呟いた。カラムの方はと言うと、ルフレの影すら見つけられてはいない。それでも、カラムの心は折れてはいなかった。気が弱く、誰かの意思に流されがちな彼だったが、この旅に関してだけは、目的を果たすまでは誰の言葉も耳に入れずにいた。気概だけは、彼の中にいつまでも満ちていた。





 駆け寄った先に、クロムは、リズも目を見開いたまま立ち尽くした。フレデリクより知らせを聞いた時、最初は信じていなかったのだ。思わぬ"拾いもの"はこれで二度目だと言うのに。

「ま、さか―――」
「お兄ちゃん、そのまさかだよ―――!」
 茫然と呟くも、目に入る姿は幻ではない。
 ルフレは起き上がると、ゆっくりと頭を下げ、心配をかけた事を"友"に詫びた。
「い、いや、そんな事はどうでもいいんだ。どうでもいい―――ルフレ、よくぞ戻ってくれた……!」
 夜の闇を思わせる上着も、流れる髪も、目も、声も、紛れもないルフレのものだ。忘れる事などない。リズなどは、目に涙を浮かべていた。

「あ、ああ。仕方がないだろう。何かと気苦労も多いんだ。老けたとか言うな。そういうお前も―――」
 積もる話は数え切れないほどある。しかし、クロムは首を振った。彼女を誰よりも待ちわびて、待ち切れずにいた男がすぐに脳裏に浮かんだからだ。実際、ルフレの口からも、彼女の夫の所在を問う言葉が出る。カラムには逢えていない事に、クロムの内心は痛んだ。

「あのな、良く聞いて欲しい。カラムは」
 夫の旅立ちを聞いて、ルフレはたちまち顔を青くして行った。言わない事はない―――クロムは過去の己と友を叱咤した。彼のいつにない強い意思に、後押しをしてしまったが、何が何でも、彼を引き止めておくべきだったのだ。最初は二人の息子であるマークと連絡を取り合っていたらしいのだが、数回のやり取りの後、ぷっつりと途絶えたと聞く。

「え?今何て―――?」
 クロムは慌てて止めた。カラムの二の舞を踏ませたくはない。リズも必死になって兄に同調している。しかし、彼女も殊配偶者に関しては頑として他人の意見を跳ねのけるきらいがある。カラムさんが見えるのは自分だけでいい、などと言っていた記憶もあった。

「なあ、ルフレ。少し落ち着いてくれないか。王城へでしばらく身を落ち着かせるくらいは……だったら、せめてマークのところへ、今ヴァルムに居るか……だから待て!ルフレ!」
 
 
13/06/06   Back