Die Vater freuden 2



 フェレから主街道を三日間ほど馬車で揺られれば、雪国イリアの一地方アルリロへ着く。リキアでは収穫祭を終えて冬の支度を始める時節だが、イリアは既に大地に白化粧を施されている。
 ロイは朱の絹張りの背もたれに体を預けながら、綴られている文字を睨み付けるようになぞっていた。あれからすぐにロイが放った密偵からの報告書によれば、マルヴィル伯爵家はロイの予想通り、エトルリアきっての大貴族の一員であり、現当主ミュレーベはエトルリア前国王モルドレッドの従兄弟の子に当たる人物であった。かなりの下位ではあるが王位継承権を持っている。己の地位をさらに高めるため、ロイの父を使おうとしているのも確信となった。
 だが、その確信の中で驚くべき事実があった。エリウッド自身、以前から極秘裏にマルヴィル家との接触があった事が判明したのだ。はっきりとしているのは、およそ半年前から。どうやら体調不良を理由に隠遁したと見せかけて、エトルリアへ足を運んでいたらしい。
 ロイは、手元の二通の招待状に視線を送る。無論、それはエリウッドとロイへ宛てたものだった。しかし、招待状が来ているにもかかわらず、父は失踪。つまり父が密かにイリアへ行った事をマルヴィル伯爵は知らないのだ。だが、場所は共にイリア。偶然か否か。ロイは不可解さを拭いきれずに馬車に揺られていた。
 
 サカやイリアは、エトルリアの貴族たちにとって、膨大な財力と権力を誇示する場であった。貴族たちは挙ってその土地の権力者から金とエトルリアでの利権をちらつかせて土地を買い、時には力づくで手に入れ、城のような屋敷を建てている。ロイたちが招待されている屋敷もその一つのようだった。道中、エトルリアの貴族らしき馬車が何台かフェレ家の馬車を通り過ぎたのが見えた。
 
 白い平原に、どこまでも伸びている塀が見えてきた。イリアの文化からはおよそかけ離れた華美な建造物がそこにある。巨大な門を馬車でくぐれば、大小様々な用途の部屋が数十ある本館を中心に、両翼のように広がる別館。また、使用人たちの居館、家畜小屋、馬小屋、祝祭用の大聖堂など、エトルリアの大貴族の屋敷をそのまま移してきたような世界がそこにはあった。イリアの領主たちにはとてもできない所業である。
 ロイは馬車を降りると、使用人から来客用の居室に通される。晩餐会は明日の夜半。その間、ロイはウォルトたちの報告を待つつもりであった。



 冬将軍の足音を思わせる風が、小さく取られた窓を叩いていた。
 ロイは小さな丸形の食卓テーブルをマルヴィル伯爵とともに着いていた。ロイがマルヴィル伯の屋敷に到着して間もなく伯爵より招待された席だった。「簡略式」と銘打って、招待客はロイひとり―――本来なら、父エリウッドもだが―――であった。訝しむも、館の主より招かれれば受けざるを得ない。それに、フェレ家だけを招待した理由も断言できる。
 簡略式の夕食会ではあるが、樫材の食卓の上に並んでいるのは、およそリキアでは手に入りにくいものばかりであった。今はイリアだけでなく、大陸中の獣たちも冬眠を迎える季節である。銀の皿の上には、規定で少量しか狩る事のできない肉が盛られていた。

「ところで―――」
 両手を上げて歓待された時から、先ほどまで他愛のない話をしていた二人だが、マルヴィル伯が急に改まってロイの青い目を見据えてきた。メインの料理とともに、話も本題に移すつもりらしい。ロイの脳裏に緊張が走った。
「レティツィアの事なのですが」
 動揺を悟られまいと、ロイは銀製のナイフを動かす事に意識を傾ける。
「大変美しいご令嬢で」
 ロイは、食事が始まる前に紹介を受けた、マルヴィル家三女レティツィアを思い浮かべた。細い顎、大きな青い瞳に、父親に反して豊かな金の髪。典型的なエトルリア美人だった。挨拶を終えるとすぐに退席したのは、どうやらマルヴィル伯とロイの二人で、婚姻から先の話を進める為だと思われる。この際はっきりとその意思はないと言わなければ。
「その、突然の手紙で私も正直驚いています。私ももうすぐ妻を迎えますし、父も肩の荷が下りたとは思うのですが―――」
 マルヴィル伯の目はおどおどと話すロイの顔を見ているが、茹でたソーセージのような指は器用にナイフとフォークを操っていた。
「父は病弱とは言え、その、四十代半ばにして隠居生活同様の暮らしをしています。リキア王国の役職も全て断っているのです。そんな老人みたいな者に、大切なご令嬢を夫人とする訳には参りません」
 父親に対してひどい言い草だ。言い放ったロイ自身そう思ったが、事実である。国王の父になるとは言え、国内での影響力を自ら放棄しているような侯爵などに興味を失ってくれればいい。そう思っての事だった。
 マルヴィル伯爵はたるんだ瞼をしきりに瞬きさせていた。やがて襟元に差し込んでいたナプキンで口を拭うと、静かに、諭すように言葉を放つ。
「貴族の結婚など、家同士の繋がりのため。それが大前提でしょう。まさか、これから王になろうというお方にこのような事を申し上げる事になろうとは」
 その言は溜息に近かった。初めに出会った時の温和な伯爵ではなく、手紙で感じた高慢さが垣間見えた。
 彼ははっきりと言った。欲しいのは、父の身分なのだと。なれば、とロイも本音を伯爵にぶつける。
「リキアは世襲ではありません。これから一つの国にならんとしている時に、我がフェレがエトルリアの貴族と繋がりを持てば、リキアの諸侯の反感を呼ぶ事になります。それには、私のこれからのリキアの政治を摂る立場も危うくなりましょう。大変申し訳ありませんが、ここはリキアの国情をご理解ください。この話はどうかなかった事に―――」
「ロイ殿」
 強めたはずの語尾は、厚い瞼の隙間に見える鋭い光に押し止められた。
「家同士の繋がりが大前提なのは確かです。しかしですな、それが当人たちの意向も加われば、反対する道理はないではありませんか?我が娘レティツィアと、あなたのお父上エリウッド侯爵がすでに好い仲なのは事実なのですよ」
「へ?」
 銀製のナイフを動かす手が止まり、代わりに口から情けない声が漏れた。
「おや、息子であるあなたがご存じないとは。エトルリア宮中ではもっぱらの噂ですぞ」
 父が。十七歳の貴族の令嬢と、恋仲。
 ナイフに添えられた人差し指が、力み過ぎて赤くなっていた事にロイは気付かなかった。
「私も父親です。ましてや末娘。不自由のない嫁ぎ先を探すのが私の義務でもあるのです。時期国王の父親、そして娘の恋人。申し分のない縁ではありませんか。だからこそ、私もこの話喜んで準備を進めようと思っていました」
 そう言うと、マルヴィル伯は給仕に何かをささやく。
「此度お呼びしましたのは、マルヴィル家と縁の深い貴族にご紹介するとともに、正式な手続きと式典の取り決めなど詳細に話し合おうとしたのもあるのですがね」
 マルヴィル伯は、給仕が持ってきたワインを自らグラスに注いだ。
「さあ、どうぞ。イリア産の赤ワインです。これはエトルリアでも滅多に口にできませんよ」
 
 

 出された食後のデザートなど、覚えてはいなかった。
 父とレティツィア嬢が恋仲という現実。それを知らなかった息子である自分。それを理由に縁談を進めようとするマルヴィル伯爵。父が若い娘とそういう仲になった現実と、これがリキアで明るみに出れば、間違いなくロイは糾弾されるだろうとの予測。衝撃は、様々形でロイの胸を攻撃していた。
 重い足取りで部屋へ戻ると、客間の扉に紙が挟まれているのに気付く。エリウッド捜索に遣っていたウォルト達を思い出した。一枚の紙片には、走り書きのような字面で、簡潔に書かれていた。


『赤毛の紳士が近隣の村々に現れたという情報のみ。侯爵様の行方は未だ知れず』

 ロイはその紙片を握り潰しながら溜息を吐いた。
 その赤毛の紳士をどんな手を使ってでも捕らえなければならない。せめて夕食会での話の真実を、父自らの口で聞きたかった。
 ロイは小卓の上に手紙を出すと、ウォルト宛に筆を走らせた。思わず父への恨み言で紙一枚を埋まりそうになったが、それを何とか半分に止め、次の指示を記そうとした時、扉を通して足音が聞こえた。その音は絨毯に吸収されているが、ロイの耳にはかなり慌てた様子に聞こえる。
 他の客人が急病にでもなったのか。そう思い扉を開けると、廊下の先に二人のマルヴィル家の使用人がいた。ここからでは聞き取れないが、何かを小声で言い合っているようだ。時折ちらりと見える横顔からは、明らかな焦りと憔悴が浮かんでいた。
「何かあったのかい?」
 背中でロイの声を受けた使用人達は、びくりと立ち止まるとお互いに顔を見合わせた。これは何かある。顔でそう言っているようなものだ。
「大した事では―――」
「おお、ロイ殿」
 重そうな足音を立てて、マルヴィル伯が階下からロイに近付いて来る。
「マルヴィル伯。どうなさったのですか」
「ロイ殿。エリウッド殿、フェレ侯爵はどちらにいらっしゃるのですか」
 息も絶え絶えに放たれた言葉に、ロイは答えかねていた。
「先刻も申しましたように、父とは別にこちらへ向かっていまして。途中気分を悪くして近郊の村でお世話になっていると聞いています。明朝にはこちらへやって来るでしょう」
 そう告げても、マルヴィル伯は堅い表情のままロイを見ていた。呼吸を整えると、ゆっくりと口を開く。
「ロイ殿。レティツィアがいないのです」
「え?何ですって―――?」
 マルヴィル伯の説明では、彼女はロイ達と別れた後は、屋敷に来ていたエトルリアの彼女の友人と夕食を摂っているはずだった。しかし、この時間になってもマルヴィル家の部屋がある棟へは戻って来ず、マルヴィル家の者達でレティツィアを探しているらしい。
「聞けば、娘の友人のご令嬢方は、レティツィアとは夕食どころか、会っていないと言います」
「まさか、父の元へ行ったと、そうお考えで……」
 うなずきはしないが、マルヴィル伯爵の小さな青い瞳はまっすぐにロイを見ていた。
「その可能性は拭えないといった所です。これで私の話は信じていただけましたかな」
 娘が失踪したというのに、伯爵は多少は心配した様子ではあるが、エリウッドとレティツィアの仲の裏付けに喜んでいるようにも見える。
 だが、これで確実という訳ではないようだ。それを確かめるには、実際に父に会わなければならない。しかし、ロイの方でも、父はどこにいるのかわからない状態なのだ。ウォルトの報告によれば、近郊の村に世話になっているのは確実だ。しかし、どこにいるか確証がないのは、ロイにとって非常に良くない。マルヴィル伯爵に、どの村にいるのかと尋ねられれば一環の終わりだ。
「もう夜半ですが、連れてきたフェレの者に頼んで父を連れて来ましょう。そこにご令嬢のお姿がない時は、私達も捜索に協力します」
 ロイは賭けに出る事にした。ウォルトと、もう一人、そして極わずかだか父に賭けている。ロイはマルヴィル家の使用人に、フェレ家の御者を呼んで来るように顔を向けた。その時。

「伯爵、お館様―――」
 伯爵の背後のさらに向こうから、年老いた執事が走ってきた。かなり慌てた様子だった。
「アクレイアから、魔道軍将セシリア様がお見えです」
 その名前に、ロイも背筋を伸ばす。フェレを発つ前に出しておいた書簡が効を発したのだ。しかし、完全にロイの救いとなる確証はない。
 マルヴィル伯は眉根を寄せていた。無理もない。夜半に、呼んでもいない大貴族が尋ねて来たのだ。だが、王家の血筋とは言え、国の重職の者を無碍にはできない。
「わかった。すぐ向かおう。丁重におもてなしを―――」
「それには及びませんわ」
 セシリアが丁度階段を昇りきっていた。毛皮で縁取られた外套の雪の跡が、屋敷にたどり着いたばかりなのを物語っていた。
 音がせんばかりにマルヴィル伯は振り返る。セシリアはロイと目が合うと、顔を綻ばせた。反して、ロイは目を見開く。セシリアの登場にではない。その背後にいるエリウッドの姿を見たからだった。
「ち、父上……」
「やあ、ロイじゃないか」
 息子の心配をよそに、エリウッドは暢気な声を出した。
「父上っ、今までどこにっ、家の者がどれだけ心配したかっ……!」
 父に会ったら今までの不満をぶちまけよう。そう心に決めていたロイだが、いざ父を目の前に上手く言葉が出なかった。
「ごめんごめん。ちょっと色々あってね」
 そんなロイの叫びにも、エリウッドは笑顔で答える。それを微笑ましく見ているセシリア。マルヴィル伯爵一人、事態が飲めずに三人にそれぞれ視線を向けていた。
「そういえば、ミュレーベ・エル・アデル・マルヴィル伯爵」
「は、はっ」
 ついでのような口調で、セシリアはマルヴィル伯爵に声をかける。
「わたしがここへ来たのは、あなたをアクレイアの憲兵庁へ連行するためですわ」
「けっ憲兵……?」
 その言葉に、マルヴィル伯爵の柔らかな輪郭を描いている顔が、急に強張った。
「私が、私が、一体何をしたと言うのです!?」
「あら、ご自分が今足を着いている場所は何なのかしら。ここ、アルリロはイリアの領主が売却し、取引が成立しようとしていたボリナール子爵から不正に横取りしたものでしょう?」
 マルヴィル伯爵の艶やかな頬が赤く染まっていく。それに構わずにセシリアは言葉を続ける。
「東のアルリロ山からは、鉱脈があるという噂が立っていたわね。でも残念ですわ。調べたところ、確かに鉱脈は存在しますけど、眠っているのはほんの少し。根回しに使ったお金の方が高くついたはずですわよ。それに……」
「それがどうしたと言うのだ!?貴殿は魔道軍将ではあるが、いくら何でも私を断罪する権限はないはずだ!端くれと言えども王家の者に対して無礼であろう!」
 口角に唾を飛ばしながら捲くし立てるマルヴィル伯にも、セシリアは全く動じていない様子であった。セシリア自身名家の出自ではあるが、何よりその図太い精神が現在の地位を築いているのだと、ロイは思っている。絶対に口には出さないが。
「エトルリア王国憲兵法第三条。エトルリア王国の憲兵総督代理として、三軍将職にある者は、憲兵総督の委託を受けて憲兵庁への任意の連行を行うことができる。それに、現在の憲兵総督はわたしの言いなり……じゃなくて大変信頼を置いて頂いているの。ほら、これが委任状よ。逮捕はできないけどね」
 セシリアは外套の隠しから一枚の羊皮紙を取り出した。
「あなたがアルリロの屋敷へ仲間を集めているうちに調べさせてもらったわ。今頃はわたしの部下と憲兵が領地内の大量の武器を押収しているはずよ。エトルリアのめぼしい貴族から資金を集め、おまけにリキアと繋がりを持ち―――一体何をしようとしていたのかしら」
 マルヴィル伯はじっとセシリアの睨んでいる。魂胆が暴かれようとも、王族の一員を盾に、何とか厳罰を免れよう。その算段をしているのだろうか。
「無理矢理連れては行けないけれど、わたしが今回の件の報告書を持ってアクレイアまで行けば、どうなるかは分かるわよね?抵抗するとなると、王家からこの館で謹慎の命令が出るわよ。極寒のイリアで冬を越してからアクレイアへ戻るか、今戻るか、良く考える事ね」
 セシリアがにっこりと微笑むと、伯爵は今までの苦渋を弾かせたように狼狽え出した。同時に、階下から兵士が駆け上がって来た。どうやら、セシリアの言は本当らしい。よく耳を澄ますと、幾人もの足音と男達の声が聞こえる。
 マルヴィル伯爵はうなだれて、連行しようとする兵士に抗う事はなかった。
 この時ようやくロイの背中に戦慄が走った。クーデターとは言い切れないが、マルヴィル伯爵は、エトルリアに対し、何か血生臭い事を企てていたのだ。知らずとはいえ、ロイ、いやリキア王国は危うくそれに巻き込まれる所だったのだ。
「観念しよう……だが……」
 両脇を兵士に抱えられ、ぽつりと伯爵は呟くように言った。
「だが……レティツィア、娘の行方が知れんのだ……それだけが気がかりだ。エリウッド殿、貴殿が知っているのではないのか?」
「ああ、ご令嬢ですか?」
 この緊迫した空気にも拘らず、エリウッドの口調は相変わらず穏やかであった。そしてそのまま、さらりととんでもない事を言い放つ。
「駆け落ちしましたよ。この屋敷で働いている青年と」
「ええっ!!」
 この場にいる誰よりも、ロイは大声を張り上げた。父親であるマルヴィル伯爵は、顔を青白くさせて口をだらしなく開けていた。
「ご令嬢とは半年前に知り合いましてね。いやあ、彼女は強い。本当にお強いお嬢さんだ―――その縁で仲良くなりましてね。駆け落ちの相談を受けていたのですよ。本当はもう少し先になる予定だったのですが、いやいや、私も詰めが甘い。アクレイアの貴族達の噂になってしまったので、あなたがイリアへ私達をお呼びするのを機に決行したという次第です」
「そ、そんな……レティツィア……」
「あ、それからご令嬢から伝言を承っていましてね。『娘を道具としか思っていないお父様には心底愛想が尽きました。私は愛する人と平民として生きていきます。さようなら』だそうですよ」
 柔らかなその声は、マルヴィル伯の膝を崩れさせるには充分だった。


「父上、マルヴィル伯爵と会っていた訳では……」
 ロイの声は震えていた。密偵の報告と幾分か食い違っているのだ。
「ロイ、密偵を放ったと同時にわたしにもマルヴィル家への調査を依頼したのは合格だけど、密偵は信頼できる者を自分で召し抱えなきゃ。以前教えたはずよ」
 兵士に連行されて行くマルヴィル伯爵の背中を見送ると、セシリアはロイに向き直った。ロイは、フェレの密偵だけの調査では時間が足りないと判断し、セシリアに今回の事情を綴った上で、エトルリアの宮廷内部の情報の提供を求めていた。だがこれはセシリアとて他国に自国の事情を密告させるような形ではあるので、結果は期待せずにいたのだが。まさかこんな大事になるとは夢にも思わなかった。
「フェレ家の密偵なんて、自分の身内を調べなきゃ場合は信用ならないわよ。だからこうして、あなたのお父様に上手いこと騙されたじゃない」
「え?」
 確かに、ロイは個人的に密偵は従えてはいない。今回マルヴィル家の調査に向かわせたのも、フェレ家お抱えの密偵である。つまり、密偵は任務途中にエリウッドと接触し、ロイへの報告を操作したのだ。そしてその密偵は、ロイがエリウッドの捜索に向かわせていたウォルトたちをも難なく欺いていたのだと言う。ロイの額が冷えていくのがわかる。
「と、いう事は……密偵を操作したのも、あんな迷惑な手紙を残してイリアへ行ったもの……」
「全て駆け落ちの準備の時間稼ぎさ」
 朗らかにエリウッドは答える。その穏やかな顔は、息子を散々振り回した事への申し訳なさなど微塵もなかった。 
「それから、それからですよ……レティツィア嬢とはどうやってお知り合いに?」
 多少の頭痛を感じながらも、もう一つの疑問を父に投げかける。あまり社交の場に出たがらない父である。サロンも華やかなエトルリアの貴族の令嬢と出会うには、不自然だった。
「半年前にイリアへ出かけた時にね、山で遭難しかかった上に熊に襲われたんだよ。そこへ助けてくれたのがレティツィアさんだったと言う訳なんだ」
「山で、遭難……?助けてもらって……?」
「エトルリアの女は強くてよ」
 エリウッドと並んで、セシリアがにこやかに答える。肩にどっと疲れが圧しかかってきた気がした。お前の母さんの墓参りにね、という言葉も随分と遠くに聞こえた。
 
07/11/13 初出 13/09/05 加筆修正   Back