僕もだよ



羽根ペンを動かす手を止め、窓の外をふと見やると、庭の木々がすっかり色を変えている事に気付いた。
 そうか、もう秋か。
 季節巡りは早い。特に、「あの時」を過ぎた時からそう感じる様になった。
 秋、それはエリウッドにも、美しい思い出は多々あるが、未だ深い悲しみを拭いきれない季節でもあった。業務の手を止めて窓を開けると、紅い海の中で、幼い息子が風に舞う葉を追いかけていた。その姿に思わず口元を緩めてしまう。
 だがやはり、いつも息子の傍らで見守っていた妻と妻の笑顔を今でも鮮明に思い出してしまう。
 あの時、冷たくなっていく手を握る事しかエリウッドはできなかった。エリウッドの膝の上でおとなしく座っていた息子が、強く結ばれている両親の手に小さな自分のそれを伸ばそうとしていた。それに妻が反対の手を伸ばす。だが、その手は息子の手に届く前に崩れ落ちてしまった。
 ドカッと乱暴な音を立ててエリウッドは椅子に座った。また思い出してしまった。また思い出してしまった。一度思い出すと止まらない。エリウッドの精神は去年の秋の日に戻ってしまう。重くのしかかるような空気、動かない手、ニ度と開かない瞼。
「ニニアンッ……」
 こんな風に机に突っ伏してひとりで泣くのは何度目だろうか。忘れてはならない、けれどいつまでもこんな事ではいけない、その思いが自分を執務に攻め立てていたのに。気がついたらもういない妻を思っている。そんな毎日。
「ごめん、僕は本当に駄目な男だよ。ニニアン……」
 自嘲気味に濡れた手を見る。

 執務室の扉から遠慮がちなノックの音が聞こえた。エリウッドは慌てて涙を拭い、洟をかむ。こんな姿を見られてはいけない。もし心配症な家臣だったら風邪気味で通そう。そう言い訳を考えながらエリウッドは返事をした。

「開いてるよ」
 現われたのは先ほど庭で遊んでいた息子だった。普段から父上の仕事を邪魔してはいけないと周囲から言われているせいか、ゆっくりと遠慮がちに入ってくる。
「ロイか。どうしたんだい?」
「父上、おしごと中にごめんなさい」
「別に構わないよ」
<  俯いている息子にエリウッドは歩み寄る。そう言えば、最近全くかまってやれなかった。迷惑だろうと気遣う心を押してここまで来たのだ。息子もよほど寂しかったのだろう。
 ロイの視線に合わせようとしゃがんだエリウッドの鼻先に、一輪の花が差し出された。
「これは……!」
 真っ白い花。それはこの領内どころか近隣諸国にも咲かない。エリウッドの妻が大好きだった花だった。かつてエリウッドもこの花を求めて一人イリアの地を駆け巡った事があった。極寒の地イリアの中でも年中雪を冠している高山にしか咲かない花。地元の人間も滅多に登らないその山でエリウッドもかなり苦労して登った記憶がある。それ以降エリウッドはイリアには行っていない。その花はニニアンが枯れる前に押し花にしてずっと持っていた。そしてその押し花も今は持ち主と共に土に還ったはずである。
「この花は―――どうしたんだい?」
「お外で遊んでいたらおんなの人がくれたの」
 女の人?館の使用人ではないのか。
「とてもながくてきれいなかみをしていました。ありがとうって言ったら、『大切な人からもらった花だから、あなたも大切にしてね』って言っていました」

「そうか……」
「だから、父上にあげます」

「ありがとう。父上はこの花が大好きなんだ。さあ、遊んできなさい」

 再び涙が溢れてきそうで、エリウッドは慌てて息子を外へ促した。ロイはそれに素直に従う。

「あっ」
 急にロイはくるりと父親の方を向いた。
「それからね、そのおんなのひとがいっていました。『わたしは、幸せでした』って。お父さんに伝えてほしいって……父上、どうしたの?」  
05/11/27   Back