旅の終わり



「いいかい?自分を売り込むのだって、色々と知恵が必要なんだよ。あんたみたいに真正面から力自慢を謳ったって」
「おれ歌は苦手だ」
「……ただ単に『おれは腕っぷしが強いぞ、だから雇ってくれ』って言ったって、はいそうですかと言う奴の方が少ないってもんだよ」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ。おれ、本当に腕力しか取り柄がねえし」
「だから、少しはその腕っぷしを具体的に言えばいいんだよ。例えば……」
「例えば?」
「そうそう、虎を素手でひっくり返せる、とかさ」
「虎ぁ?おれ半獣なんざ見世物小屋でしか見た事ねえよ。まあ、あの大きさならいけるかもしれねえけどさ」
「別に実際にできろって訳じゃないよ。でも、見た目でいけそうなら……そうだね。どうせなら、二匹同時にひっくり返せるって言っちまいなよ」


 ともに旅するようになり、二人は主に傭兵として各地を転々としていた。しかし、常に二人一緒だった訳ではない。そもそも、カリルの旅は魔道の修行であり、魔道士のみを募集していた時は、迷わずにカリルだけで行き、その間ラルゴは別の仕事を探して離れた土地を目指した。お互いどこかで落ち合おうなどという事言わないが、一人になった時は、大抵別れた土地近郊の大きな酒場にどちらともなく根を下ろしている。
 二人は、酒場が好きだった。何をするにもまずは酒場で腰を落ち着かせてから考えていた。人がたくさんいる中、特に誰かと仲良くなる訳ではないが、その喧騒の中にいるのが心地よかった。
「なあ」
 グラスを傾け、ラルゴはカウンターの方向に目を細める。カリルは、彼の続く言葉を聞きたくなくて、わざとテーブルの上に荒々しくグラスを置いた。
「あたしは先に部屋(うえ)に言ってるよ」
 ラルゴの返事も聞かず、カリルはかなり飲んだというのにしっかりした足取りで階段を上がっていく。男たちの騒ぎ声は止む事なく、カリルの部屋にまで、酒の匂いや賽の転がる音まで届きそうだった。部屋に着くなり、カリルの身体は勢いよく寝台に倒れこむ。
「馬鹿だね」
 敷布に顔をうずめ、ぽつりと呟いた。
 気付いてしまった。ラルゴが、何かを思っている事を。その何かを遂げるためには、この旅を終わらせなければならない事を。別にいいではないか。トモダチが、新たな目標を見つけたのだ。それを笑顔で応援して背中を押してやればいい。自分は元の旅に戻るだけ。何も問題はない。
 そう言い聞かせるように、カリルは枕で顔を塞いだ。次、彼が胸の内を告白した時の事を考える。平然と「いいじゃないか」と言える訓練を、頭の中で何度も繰り返した。
翌朝、部屋の扉を叩く音で目覚めた。
 カリルよりも早く起きているのが珍しかった。昨晩の事もあり、気後れ気味にラルゴを見る。
「昨日酒場(した)でな、シエネの方で誘いが来たんだ。荷運びの手伝いらしいんだが、護衛もできれば欲しいとか言ってるんだがよ」
「あたしはいいよ」
 そうか。ラルゴの何気ない声が部屋に響く。化粧前の顔は見られたくない。彼もそれは知っているはずだった。だから、素っ気なく答え、扉を閉める様子に不思議がる事はなかった。
 別れの言葉も、顔も合わさずに二人はそれぞれの目的地へ足を運んだ。ラルゴはベグニオン帝都シエネ、カリルは国境を越え、デイン王国へ。普段と変わりない別れだった。次会う時も、いつも通りの再会だろう。二人は、それを疑う事もなくそれぞれの目的地へ旅立った。



 デインは現在クリミアと戦争中であり、デインの村々は息を潜めたように静かだった。収穫も終え、雪の季節がやって来た事も手伝ってはいるが。
 王族の生き残りを旗印にクリミア軍が再興し、ベグニオン帝国皇帝の庇護の下、祖国奪還を高らかに謳い進軍している事を、旅の道々で聞いていた。現在そのクリミア軍が、今カリルがいるダレルカの近郊に駐留しているとの情報も手にしていた。
「これは行かない訳にはいかないね」
 カリル自身クリミアの片田舎の出身だった。しかし、愛国心からの行動であるなどは、胸を張って言えたものではなかった。しかし、偶然行き先にクリミア軍の駐留地があったのも理由ではあるが、祖国であるからという錘を除いても、侵略行為は許されざるものだ。秤は自然とクリミアへと傾いた。

 新興クリミア軍の総大将が、少年と呼んでもいいほどの若さであるのは驚きだが、新しい仕事場はそれほど居心地が悪いものではなかった。賃金も懐を暖めるには多少心もとないが、他の場所へ足を向けようとする程ではなかった。何よりその大将が、偏見という言葉を持っていない事が興味深かった。魔道士と言えども、女であるというだけで、軽く見られる事は多々あった。だが、彼は他の男たちとは違い、旅の女を脂じみた視線を投げず、おまけにラグズにも信頼を重く置いていた。
 クリミア軍が危険になったら迷わず抜ける算段をしていたが、彼の下なら、メリオルまで付き合ってみよう。傭兵出身の将軍は、そんな気を起こしてくれた。
 

 正に快進撃とでも言い表せるように、クリミア軍は、デイン、クリミア間の国境を越え、王都メリオルを目指す。道中、元気の良い弟子もできた。その生徒に、朝早くからカリルはよく響く声で起こされる。
「まったく、朝っぱらから大声でなんだい」
 少年のカリルを呼ぶ声が、未だ耳の中で暴れまわっている。誰かにそっくりだよ。胸中でそう呟きながら。
「新入りのおっさんがムワリムと力比べしてんだ!」
 走ってきたせいか、それともその力勝負の興奮か、弟子トパックの頬は彼の髪のように赤くなっていた。カリルはさも面倒だとばかりに、重いまぶたを開く。晴れた朝の空が眩しかった。
「それがどうしたんだい」
 クリミア軍には、ベオクの傭兵なり、流れのラグズなりが随時参入している。奇襲時に国を逃げ出した者たちや、勝ち馬に上手く乗ろうとしている傭兵が、王都を前に入隊を志願してくる姿は珍しくはなかった。ましてや、ベオクの傭兵は、ラグズを蔑む一方、己の力を指し示す測と見ている者も多い。その「新入りのおっさん」とやらも、その一人であろうとカリルは勝手に頭の中で答えを出していた。
「それがさ、ムワリムといい勝負なんだ。だから先生にも知らせようと思ってさ。凄いんだぜ。さすが、虎を二匹同時にひっくり返せるって言った男だよ!」
 最後の言葉に、カリルは半分浸かっていたまどろみの世界から、完全に抜け出した。勝負の場所を聞くと、興味を持ったのが嬉しそうに走り出した。

 
 固く絞った手巾を手渡すと、「ありがてえ」とすぐにそれを隆起した肩に当てた。半年振りの再会。今までで一番長い別れだった。だが、寂しさや再会の感動などは微塵も生まれない。半年で、この男が変わる事もない。
「まったく、おかしな事をするもんだよ」
 呆れた色の声と顔に、ラルゴは口の端をにんまりと上げた。
「いい勝負だったろ?」
「ここは軍隊だよ。それに、相手は……」
「ああ。だから声をかけてみたのもある」
 何どきも明るいラルゴの表情に、少し影が落ちているのに、カリルは目を疑った。溌剌として、明朗で、ラグズを蔑むような性格ではない。「半獣」などと呼んでいたのも、無知と周囲の環境ゆえのものだ。
「ここへ来る前まで、おれ、ベグニオンで荷運びしてたんだ」
「そうだったね」
 カリルは、ラルゴと行き先を分かった頃を思い出す。酒場で知り合った男に紹介されて行ったはずだ。そこで見たものを、ラルゴは珍しく苦いものを吐き捨てるように話し出す。
「やたらとでかくて重い木箱でよ。中から何やら音が聞こえるんだ。うめき声も。何が入ってるんだって訊いても『黙って運べ』としか言わねぇでよ」
 それでカリルは、ラルゴの仕事先が何を商売としているのかを察した。良くも悪くも純粋な男だ。目の当たりにした現実が、受け入れなれなかったのだろう。ともに旅し、そこで、ラルゴは明日食べるのも不自由な子供時代、身売りされていく子供らを何人も目の当たりにしてきた事を述懐していた。
「それでな、おれ、夜中こっそり中開けてみたんだ。そしたら驚いた。猫と虎のはん、じゃなくてラグズだったんだよ」
「ああ、奴隷ってやつかい」
 ベグニオン帝国が、皇帝兼神使の名でラグズ奴隷の解放を宣言したのが二十年前。最近までは、カリルも未だベグニオン貴族がラグズ奴隷を抱えている事は知らなかった。彼女の弟子が、その解放運動の首領を務めていると自己紹介するまでは。
 カリル自身、その事実は情報のひとつとして、知識の土に埋めたまでに過ぎないが、目の前の大男は違ったようだ。今でも、二人の目の前を歩くラグズの戦士に、哀れみに近い光を当てていた。
「びっくりして尻餅ついたらさ、すんげぇか細い声で言うんだ。殺せって……」
 それを言ったラグズと同じ種族の兵は、未だラルゴの瞳に重ねられている。重苦しい空気が彼の回りに集まりだし、そんな彼を見た事のないカリルは、トモダチが別人のように映っていた。
「それで、思い出したんだよ。おれがガキの頃のただいっぺんの娯楽だった見世物小屋がよ。あの時の、虎のラグズもおんなじ目ぇしてた。あいつも、死にたいと思ってたんだ」
 ラルゴの肩に当てていた手巾は、分厚い手に固く握られ、真下の土を色濃く染めていた。それで木箱の中のラグズ奴隷を見たその後、彼がどうしたかは語られなかった。傭兵として血生臭い事は数多く手がけてきたけれども、カリルと違い、重い石を引きずるきらいがある。良くも悪くも純粋な男だ。ラルゴが、そのラグズの言葉通りの行動を取ったとは想像がつかない。だが、深く黒い影は心にこびりついたままなのは確かだった。
 野営地の天幕の並木を、兵士らがせわしなく通り過ぎる。二人は、クリミア軍の往来をしばらく眺めていた。太陽は高く、春は近いけれど寒さは未だ肩に抱きついていた。立ち上る煙も、酒場のそれとは違う。酒場以外で、二人でこうして言葉を交わしたのは、これが初めてかもしれない。羽織っていた上着をむき出しの逞しい肩に掛けながら、カリルはそう思った。



 昨夜の張り詰めたような空気とは打って変わって、至る所で喜びの声と焚き火の煙が上がっている。カリルはその間を縫いながら、自分の天幕を目指した。長い戦が終わりを告げ、祖国が持ち主の手に納まった感動を、各々程度は違えど隠すことなく杯を傾けている。
「カリル」
 聞きなれた響きが、カリルの背中と鼓膜を打つ。振り返れば、ラルゴは寒さの残るこの夜に、皮のマントを裸の肩に羽織っただけだった。辺りで燃える松明か、勝利の興奮か、それとも酒か、たくましく盛り上がった肌は赤く染まっていた。
「お前、行っちまうのか」
 くぐろうとして帆布を掛けた腕をぴたりと止めた。カリルは雇われただけである。雇用先の目的が終われば、次の旅が始まるだけだ。
 帆布を掛けた腕を落とすと、「ちょっと飲まねえか」と木杯と酒瓶を眼前に持ち上げた。

 就寝用の天幕から少し離れ、大きな焚き火を囲んで騒いでいる兵士らを遠目に見ながら、二人は座った。浴びるように酒を飲み、泣きながら抱きついている騎士や兵士らを、ラルゴは目を細めて杯を傾けていた。
ラルゴが今何を思っているのか、それが手に取るようにわかった。それはカリルだけではない、軍内でも彼と親しい者なら、知っている事だった。
 それをはっきりとカリルの前で言葉にしないのは、彼もカリルの胸中を知っているからであろう。そして、それがどんな意味を持つものかも。以前より、彼に目標ができた事に気付いていた。それを耳にしたくなくて、カリルは常にはぐらかしていたのだ。
 元々、彼が勝手について来ただけだ。いずれかは終りが来る。初めはそう思っていたじゃないか。
 深い息を、酒と一緒に流し込み、ラルゴの言葉を受け入れる覚悟を決めた。この大きな戦争が、その機だ。それでもいいじゃないかと。

「やっぱり、酒は楽しんで飲まなきゃな」
 野原に並んで座り始めて、最初に言った言葉だった。カリルはそれに返事をすることなく、酒瓶の中身を減らしていく。
「そう言えばさ、ガリアからも復興にたくさんのラグズがやってくるみたいじゃねえか。でもさ、この軍でもよ、まだラグズにケチ付けてるやつも多いんだよな」
 それはカリルも、何度か目の当たりにしている。ラグズも多く参戦している中、それを良く思わぬベオクが影で悪態をついている場面は珍しくなかった。
「話してみるといい奴ばっかなのにな。何も知らないのに、悪く思うのは良くない事だ―――まあ、これはダラハウの受け売りだけどな」
 この軍にいて、短い間に、ラルゴは多くの友を得ていた。それこそ、種族を問わず。それがラルゴの以前よりの意思をより確かなものへと固めていったのだろう。
「だからさ、おれ、決めたんだ。酒場開こうって。ラグズもベオクも関係なく客を入れてさ。そしたら、クリミアもさ、ほらあいつらみたいになるよ」
 ラルゴの視線には、相変わらず焚き火の前で肩を組んでいる男たちがあった。そこにはラグズ、ベオク関係のない世界が、純粋な瞳に広がっていた。今は一つの目標を成し遂げた感動と達成感で繋がっている。だが、明日の朝日の下ではそれが続いてる保障はない。だから、それを恒常的なものにしようと彼は言うのだ。
「おれは頭悪くて、お前がいなけりゃ満足に給料の計算もできなかったけどよ、ホントお前には感謝してる」
 ラルゴは、急にカリルに向き直る。
 カリルについて行くと言った日。ラルゴは長年働いていた開拓地の工員を辞め、支払われた賃金を手にしていた。だが、後でカリルがその金額と働いた日数を何度計算しても合わず、それを咎めても「数数えるの面倒だった」と豪快に笑っていたのを思い出した。その顔で、酒精でごまかしていた胸中が、はっきりと答えを洗い上げていた。
「馬鹿言うんじゃないよ」
 ラルゴから目を逸らし、酒瓶を手に取った。
「あんな簡単な計算だけで、酒場の経営が勤まると思ってんのかい」
 酒瓶の角度を急にし、木杯に注ぐ。名残惜しそうに雫が数滴波紋を作った。
「そりゃそうだけどさ、やっていくうちに慣れていくよ」
「そんなんだから、開拓地にいた時も、お役人に稼ぎを誤魔化されてたんだよ」
「そうかな……」
「ったく、客になめられちゃ商売なんてお終いだよ。ちゃんと経理のできる人間がいないと」
 空になった瓶を持ち上げ、ラルゴの額に軽く押し当てた。当のラルゴは目を見開く。
「だって、お前は修行が……」
「あんたが丼勘定で酒場やってるなんて知ったまま旅ができるかい!」
 そのまま、額を押すように瓶の底を突き出した。突然の力に押され、ラルゴは軽い悲鳴を上げて仰け反る。だが、逞しい身体はすぐに体勢を戻し、その勢いでカリルの体にしがみついた。
「ああカリル、やっぱお前はいい女だ!」
 苦しくなるような締め付けに、眉をひそめるも、カリルの口元は笑みを浮かべていた。
 漆黒の闇を押し退けんばかりに焚き火の炎が燃え上がり、薄灰色の煙が立ち昇っていた。寒さの残る空気を、それとラルゴの体温が暖めてくれていた。


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