6 なじんだ温もりを惜しんで

ご注意


今更スマッシュブラザーズネタな上、それでアイエリをやっています。
無茶があるのは承知な方のみお進みください。







 珍しく、アイクの方から会いたい、と言い出した。
 ―――そう簡潔に表現すれば、恋人同士のような表現ではあるが、実のところは一国の将軍が君主へ謁見の申し出をしたのである。
 だが、公務と知っていても、エリンシアの心は軽くなって行く。
 朝一番の、形骸化した貴族らの挨拶もすんなりと満面の笑みを作る事ができ、約束の時間を心待ちにする。
 
 クリミアを取り戻し、エリンシアは皆の望むまま最後の王族として玉座に座った。それからは予想以上の忙しさと責任が彼女にのしかかり、加えて日増しになる貴族の不従順さに息切れを感じるようになっていた。
 そんな彼女をずっと支えてきたアイクとは、疎遠と断言できるほどの邂逅率だった。亡国の王女の時分には毎日のように顔を合わせていたのだが、今では公的な場面でも同席する回数も数えるほどで、遠目にも姿を見る事も叶わなくなっている事に気付いたのも最近ではない。

 部屋付きの侍女の足音ですら、心臓を高鳴らせる撥だった。
 扉の影から現れた姿は、初めてであった頃の面影はあるものの、将軍の鎧とマントがすっかり板についていた。嬉しいような、申し訳ないような気持ちが胸一杯に広がる。

「忙しいところすまない」
「いいえ、アイク様なら大歓迎です」
 素っ気ない言葉だが、エリンシアは本心を返す。
 数か月ぶりに真正面から顔を突き合わせた。別段貴族たちのような仰々しいまでの口上を欲していた訳ではない。ただ、会えただけでエリンシアには充分であった。
 あったのだが、アイクの様子にエリンシアは眉目を上げる。素っ気ない「挨拶」の後は、口を真横に結んだままだった。彼らしくもなく、次の句を躊躇しているようだ。面会を求める将軍を、謁見の間ではなく執務室へ通したのは、彼が貴族に囲まれて会話するのを好まないからであっての配慮だ。決してやましい事ではないのよ、と訊かれもしないのに側近に言い回ってはいたが、どうやらエリンシアが心の隅で抱いていた期待が現実になる、かもしれないと頬が熱くなる。
 

「これを……」
 しかし、アイクがようやく差し出したのは、思い描いた言葉ではなく一通の書簡だった。エリンシアは考えるより先にそれを受け取る。
 彼が最初に目を通したのであろう。封蝋はすでに割られていた。円が描かれ、それを突くような十字の紋。エリンシアの頭には、その像(かたち)はない。どこかの地方の貴族であろうか。若干のきな臭さを感じ取り、緊張を生み出しつつ羊皮紙に目を通す。丁寧に綴られた現代語だが、エリンシアには最初、意味が読み取れなかった。その内容があまりにも突飛すぎて、頭に入らないと言った方が正しい。


「招待状らしいんだ……異世界からの」
「異世界……」
 エリンシアの表情が曇る。アイクは説明するも、彼自信も未だ状況を理解しきれていないと言った顔をしていた。
「だから、クリミアでも、他の国でもない場所で、戦い―――と言っても戦争とかじゃなくて、もっとこう、他流試合みたいなものらしいんだが、おれも何でこんなのが来たのか理解できなくて……」
 珍しく、両手を振って、しどろもどろのアイクだが、エリンシアは書簡の意味と彼の意図をその様子で知った。
 要はその異世界に彼は行ってみたいのだ。書簡には、様々な世界の腕自慢を呼んでいると記されてある。その者たちと腕を競い、時には力を合わせて戦う舞台を用意したと。
 
「アイク様」
 この書簡の信憑性はともかく、目の前のアイクの素振りを見れば、エリンシアの答えはおのずと出てきていた。
 傭兵だった頃は、ただ父のように強くなりたいと常々口にしていた彼だ。国の再興という大仕事を抱えているとは言え、もっと強くありたいと願う気持ちは消える事はなかったのだろう。彼には感謝してもしきれないくらいの想いがある。だから、諸手を上げて送り出そうではないか。
「アイク様。いってらっしゃいませ。どうぞ存分に力を奮って来てください」
 それは本心からの言葉だった。国の復興にもう彼の力がなくとも充分だと言えば嘘になる。だが、国の基盤は整いつつあり、ガリアやフェニキスといった心強い助っ人が大勢ついてくれている。だから心配なく行ってほしいと、エリンシアはアイクの背中を押した。

「エリンシア、すまない。……それから、ありがとう」
 まだ堅いが、アイクはようやく口元を緩ませた。エリンシアは何度もうなずく。それで充分だった。こうして律義に告げに来てくれたではないか。
「だが」
 アイクは強く振り仰ぐ。
「必ず戻ってくる。もう将軍には戻れないが、あんたの為ならばいつだって力になろう」
 思いがけない言葉に、エリンシアの心臓は大きく波打つ。息がつまりそうだったが、すぐにはにかんだ顔に戻る。
「はい。待ってます。いつまでも」
 その言葉に安心したように表情を緩ませると、アイクはマントに着けていた彫り物に手をかけた。正式にクリミアの将軍になる際、その証として贈った物だ。
 
 ああ、充分だ。その言葉を聞けただけで、本当に。
 だが、充分だと思うも、欲は満たされると更なる渇きを覚えるらしい。そんな自分に呆れながらも、これが最後なのだからと、アイクの頬を両手で挟んだ。例え約束を交わそうと、それが確かではないのは知っていた。だから、これは別れの挨拶だと心の中で言い訳をしながら。
 エリンシアの手は、予想外に熱い皮膚に触れていた。無造作に外した銀の留め金は、机に放り投げるように置かれる。クリミアの将軍が一人消え、旅立つ剣士が今女王の深い欲に応えている。
10/10/31   Back