右手



 右手を差し出した。ごく自然に。まるで、風が吹けば草花がたなびくような、誰もがそれが当然と思うほどに、ためらいもなく、エリンシアは右手を差し出した。
 なぜそうしたかエリンシアもよくわからない。野を吹く風に理由がないように、エリンシアもまた、右手を差し出した理由もなくそうしたのだ。目の前にいる剣士は、かつてはクリミアの家臣ではあったのだが、エリンシアにすべての位を返し、一介の傭兵へと戻って久しい。

 野に下り、そして今度は、この地を出ると言うのだ。その言葉を聞いて、エリンシアは言葉より先に右手を出した。
 
 暖炉の薪が燃え尽きくすぶり、冬の終わりの寒気が部屋に忍び寄って来ていた。忍び込んだ冷たい空気に、エリンシアの右手は重ねられたが、気付く暇はなかった。指先だけがほんのり暖かかく、そこからじわりと体温が伝わって行く。
 アイクの指先はひび割れてはいないものの、随分と乾いていた。軽く握られているだけでは滑って離れてしまいそうで、強く握り返そうとしたが、彼の親指がエリンシアの心配を消してくれた。エリンシアの右手はぐいと上がり、暖かく柔らかい感触が押し付けられる。それは一瞬の事で、感触と熱の余韻が余計に引く。アイクの唇は、指同様乾いていた。

 なぜそうしたのか。それを問うのもおかしいと言うものだ。最初に右手を差し出したのはエリンシア。右手を出した理由もないのに、それに口付ける理由がなければならないという道理はない。
 熱と唇の痕は、手の甲からずれた手首の位置にある。狙っていたのか、外してしまったのか。アイクはもう家臣でも騎士でもない。だから、律儀に手の甲にする必要もないのだが。そう思うとおかしくて、僅かに熱が残る場所をそっと撫でて、エリンシアは微笑む。アイクは乱暴にエリンシアの手を掴んだ。与える傷を思い出に、などと、彼らしくもない。そう思いながらも、食われるような行為に身を委ねた。手首がいやに痛い。
 
Twitterお題より キス22箇所手の甲に欲望のキス
12/12/22   Back