もう一つ 余談


 
 もう夜も更けてしばらくだと云うのに、軍議用に張られた天幕からは明かりが漏れていた。

   中には誰がいるかは、アイクには容易に想像できた。その方角へ何のためらいもなく足を向ける。先刻まで共に過ごした者の残り香を、気付かれないかと気にしながら。
 天幕の中の、想像通りの人物の一人は、帆布が捲れる音と気配に顔を上げたが、アイクの姿にはさほど驚いた様子は見せてはいなかった。もう遅いですよ、と淡々と告げただけで、彼はすぐに手中の書類に視線を戻した。明日の出撃にあたり、最後の調整なのだろう。

「セネリオの言う通りよ。あなたは休んだ方がいいんじゃないかしら」
 大きな机から身体ごと離し、ティアマトまでもアイクにそう忠告する。この二人は特に仲が良いという訳ではないのだが、同じ場所にいる事風景をよく見ていた。決して豊かとは言えない傭兵団を、動かしてきたからだろうか。

「これを、フォルカから返されてな」
 手に提げていた袋を机に置く。中の硬貨の重みは、初見の者にもすぐに知れたようだ。
 懐かしい名前に、少なくともティアマトは感嘆に息を漏らしていた。
「返した、とは?」
 さすがにセネリオも引っかかりがあったようだ。だが、額面の多さに心を動かされたという様子ではなさそうだ。
「ああ。三年前に渡した報酬―─―五〇〇〇〇ゴールドだったろ?仕事が早く片付いたとか言って差額を返してきたんだ」
 アイクの説明に、セネリオは一瞬だけ口元を動かした。
「何て言うか……意外と律義な性格なのね」
「金で何でも請け負う人間が返してきたんです。受け取っておきましょう」
「ああ」
 フォルカの性格から言えば、後で返せ、などとは言わないだろう。これはセネリオが管理しておいてくれ、と袋を彼の方へ押しやった。

「それにしても……本当に律義ね」
 ティアマトは感慨深く、噛みしめるようにつぶやいた。
「こんなにたくさんのお金、見るのは久しぶりだわ」
 彼女は、普段から金銭に執着してはいない。だが、小額とは言えない金の袋をいとおしそうに眺めるティアマトに、アイクは怪訝な顔をした。だが、次に放たれた言葉でその意図が汲み取れた。

「このお金、使えるようになるといいわね。明日から―――いいえ、少し先になっても」
 世界は今、ゴールドがまともに流通している状態ではない。
 しかし金は、時には人の心を歪め、人の命まで奪い、争いの元となってしまう事もある。
 それでも元の世界に。人のいる、ベオクとラグズが生きる世界に。
「ああ、そうだな」
 そう願って止まないからこそ、今も剣を握っているのだ。
 もし、石になった人々が元に戻った時には、それを実感できる事―――例えば、誰かに物を贈る事とか―――をしてみようか、とふと思い浮かべた。
10/08/23   Back