馬上試合




「オスカー!」
 けたたましい程の声に、周囲の兵士たちは目を剥き、声の主の方へ一斉に顔を向ける。目的以外はどう反応しようと、ケビンは全く意に介さないのだが。呼ばれた本人も、空気を割くような声を背中で受けたが、悠然と振り向く。
「やあ、ケビン」
「やあ、ではない!貴様先日の答えは出たのだろうな」
 先日の答え。
 ケビンのオスカーに対する問いは、聞くまでもない。それは、三年前から変わらなかった。馬術試合に負けた事を相当根に持っているらしい。
「今から厩舎に行こうかと思ってたんだ。良かったら付き合うよ」
「そうでは……っ!いや、付き合おう」
 ケビンは口角に泡を飛ばすも、オスカーと馬術で競い合えると知り、とむき出しにした激しい感情を鞘に納める。珍しい事だった。普段ならば、武術の鍛錬を誘ってもやれ食事当番だ、弟への指南だと言っては断って来たのだから。
「どういう風の吹き回しだ」
「いや、馬術訓練は必要だろ」
 あっさりと返された模範解答に、ケビンは何も言い返せずにいた。
 
 愛馬に鞍を載せ、銜を噛ませると、二人は訓練用の槍を手に颯爽と飛び乗った。
 ケビンの馬は、主の心情を映すかのように、ぶるぶるとしきりに鼻を鳴らしている。真逆に、オスカーは馬ともども落ち着いたものだ。己の半身同然に馬を手繰る姿は、相変わらず見事なものだと感心しかけ、ケビンは慌てて訓練用の槍を振り回す。槍はケビンの得意とする得物ではないが、基本は得ている。
「行くぞ」
 短く言い放つと、ケビンの愛馬の蹄は砂を蹴った。オスカーも真正面から受け止めるつもりはない。するりと横に身を引き、ケビンの槍を受けた。穂先を取り、柄の先を丸く加工しただけの木槍だが、その衝撃はかなりのものだった。細い槍であったならば、折れていたであろう。オスカーは痺れる腕を引き、素早く槍をケビンの身体に繰り出す。槍は盾であっさりと弾かれ、鋼鉄の板の影から音もなく丸まった先が眼前に現れた。頭を反らせると、オスカーの前髪が僅かに掠った。
「どうしたオスカー!」
 優勢に傾いたのに、ケビンには歓喜はなく、むしろ友の遅れに憤慨している。オスカーとて、別段手を抜いている訳はない。彼も傭兵だ。騎士同様、いや騎士以上に命を危険に晒し生きている。鍛錬を怠る事は死の近道なのは身に染みている。それに、オスカーはケビンを軽く見ているのではない。自己鍛錬は常に欠かさず、クリミア王家への忠誠は厚く、まさに騎士の鑑とも言える人為だ。
「うおっ」
 今度は、ケビンの鼻先に槍が通った。反射的に引いたが、一瞬でも遅ければ鼻が無事では済まなかっただろう。オスカーの槍は、瞬く間にもう一度ケビンの腹を突かんとする。槍は間合いが広い利点があるが、一度繰り出し再び突くまでには時間がかかる。しかし、オスカーの槍は次の攻撃までの時間が短い。例えケビンが得意の斧を持ってしても、この速さに対応できたのは数度しかなかった。しかも、今は槍である。穂先がケビンの腹を突く前に、ケビンは槍を縦にして防いだ。そのまま横に払うと、がら空きの胸に槍が向かってくる。そこは左腕の盾が弾いた。
 得物が斧であれば―――いや、槍でなくてはいけないのだ―――!
 ケビンは柄を握り直すと、馬首を捻り間合いを広げようとするオスカーに向い、突進する。オスカーをクリミア騎士に戻すには、彼よりも秀でた武術と馬術が必要なのだ。と、ケビンは信じて止まない。ゆえに、オスカーの得意とする槍で彼に打ち勝つ事に頑なにこだわっていた。
 吶喊の声は土を蹴る蹄の音を圧倒した。オスカーは一瞬だけ怯んだが、すぐに冷静さを取り戻して眼前に盾を構える。が、槍が真横で大きく撓り、オスカーの腕をしたたかに打った。オスカーは強烈な痛みに呻き声を上げ、ふらつく身体を馬首にしがみつく事で支えた。オスカーとは反対に、ケビンは馬上から横に滑り落ちた。
「ぐあっ」
 間抜けな声と土埃が舞う。痛む右腕を押さえながら、オスカーは馬から降りた。
「ケビン、大丈夫かい?」
「これしきの事で」
 落馬したとは思えない素早さで起き上がる。答える声もいつもと調子が変わらない。本当に頑丈な男だとオスカーは素直に感服する。
「貴様こそ、骨は折れていないか?」
「ああ。かなり痛いけれど大丈夫だ。ミストやキルロイを呼ぶ必要もない」
「頑丈だなあ。おれは骨を折る気で行ったんだぞ」
 ケビンは破顔する。頑丈さで言えば彼に言われたくはない。オスカーの方も、痛む腕を押してはいたが、心臓を渾身の力で貫く気概で突いたのだ。彼が腕に気を取られなければ、それも叶わなかっただろう。
「悔しいが、まだ貴様には及ばぬという事だ。クリミア騎士として鍛錬をもっと積まなければな」
 先刻の吶喊に負けぬほど、高らかに笑う。腕はまだ痛むが、オスカーにも自然と笑みが漏れた。
「ところでケビン」
「うん、何だ?もう一戦行くなら受けて立つぞ」
「いや、君の言っていた"答え"だけど」
 眉を寄せるケビンの前に、オスカーはすっと左手を出した。右の腕はまだ痛む。
「クリミアに無事戻れたら、クリミア騎士にもう一度仕官しようかと思う。どうか、よろしく」
「ふん、貴様ならそう言うと……って、何だと!?」
 

14/04/22   Back