たとえ砂上の城だとも

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 あれから、陽の昇るたびに壁に傷を作っていた。
 同じ生活に戻っただけのはずだった。だが、以前の環境とよく似た薄暗い箱が今ではひどく胸を悪くさせ、身体は陽の光を渇望している。自分のいる場所は、ここではない。強い日差しと砂の中にある。それを思わずにはいられない。そして、小さなベオクの子。
 
 坊ちゃん。
 十年近く育ててきた、ベオクの童を思い浮かべなかった日はなかった。
 あの砂嵐の中、生きているのだろうか。あの童は、砂漠をひとりで歩いた事がない。仮に生き延びていたとしても、そこから元の家まで帰還できる保障はないのだ。
 毎日毎刻、その思いが脳裏を巡り、ムワリムの胸を締め付ける。今すぐにでもこの鎖を断ち切ってしまいたかった。しかし、それも叶わない。およそ十年ぶりにはめられた枷は重く、冷たく彼の四肢を繋いでいた。
 奴隷制度がまかり通っていた時代とは違う今、奴隷商たちは大陸中からラグズを集めている。自ら強力な装備をまとい、時には傭兵を雇い、未踏の辺境にまで足を運んでいるのだ。
 ラグズの国に住む者よりも、奴隷解放令により放たれて久しい元奴隷たちに彼らは狙いを定めていた。解放令が発令されたのはよいのだが、奴隷たちは無造作に野に放たれた。同胞の国を目指した者もいるが、多くは当てもなく、放たれたまま命を燃やし尽くした。それを免れた者たちも、自由を持て余しながら、山奥や辺境で人目を避けるように暮らしている。

 また、あの日々に戻るのだろうか。
 薄暗く黴臭い場所に鎖に繋がれ、貴族に買われる日を待つ身に、心が何度も折れそうになった。その度に、壁に彫った傷を見ては仲間たちを思い出す。
 放り込まれている牢は、移動式の物で、幾つもの板を張り合わせた箱に車輪を付けた物だった。それが四頭もの馬に繋がっている。
 彼が放り込まれてから、どれほど移動していただろう。それでも、慣れ親しんだ砂粒が風に乗ってムワリムの鼻先に届く。壁に空いた格子窓からの日差しも、常に浴びていたそれだ。砂漠から出ていないのだ。
 中にいるのは、ムワリムの他に二人ほどいる。壁越しに聞こえる商人たちの会話から、もう少し集めてから市場へ運ぶとの算段が見て取れる。
 長年の賄賂と癒着により話のわかる役人はいるが、何らかの事故でも起こし、奴隷と商人らの存在が明るみに出れば簡単に隠し通せるものではない。十年ほど前のナルデン事件がその例だ。あの件以来、商人らは周囲の目に神経質なりながら奴隷産業をひっそりと動かしていた。そこまで手をかけても、ラグズ奴隷は彼らにとっていい商売なのだ。


「ったく、足止め食らうわ、奴隷は一匹亡くすわ、実入りは少ないわ、つくづくあの時の砂嵐が恨めしいぜ」
 移動式牢の扉が開かれ、また一人のラグズが乱暴に放り込まれた。商人達は折角の「仕入れ」にも、苛立った所作で小柄な体を鎖に繋ぐ。長い鎖の音が鳴るたび、錆の匂いが鼻をつく。
 黒い翼は均整を失い、たくさんの羽根を失っていた。細身の鴉の姿が、少年を捕らえた少女と重なる。
 身体は小さく、その鴉は少女から抜けきれていないようだ。頬が痛々しいまでの痣に占められていた。食いしばった口端から血が滲んでいる。
「……何よ」
 ムワリムの視線を、女は睥睨で返した。ムワリムは軽い驚きを覚える。他の繋がられたラグズは、ムワリムの良く知っている空気をまとって、つまり元奴隷のようだった。しかし、この女から発せられる匂いや視線はまったく逆のものだった。彼が生まれ育った貴族の地下牢で出会った、ラグズの誇りを持った男たちを見た時と同じ感覚。
 
「君は―――どこから来た」
 その感覚に駆られ、声をかけた。
「どこも、ないよ。奴隷の子だった」
「奴隷の子……?」
「親は奴隷解放令で放たれた奴隷さ。あたしは貴族のお城で”増やされた”子供」
「そうか」
 女の答えは、ムワリムの胸に驚きと羨望を残していた。彼女は自分と同じ生まれだった。しかし、彼女のふた親はおよそ十五年前の令により解放され、ムワリムの親は同じ令の網をすり抜けた。野に放たれれば、奴隷とて、本来の心を取り戻す事ができていたのだ。こうして。暗く黴臭い地下で生まれ育った身としては、運命の不平等さを憾まずにはいられなかった。


 
 



 冷え込んだ空気が格子窓や隙間から侵入してくるが、それを防ぐ一枚の筵すらない。大きな身体を横たわらせ、身体を丸めて眠る。奴隷ではなくってもこの体勢は変わらなかった。
 憤りに似た感情は、あれからずっと燻っていた。
 しかし、と、ムワリムは次第に新たな思考をそこから生み出す事に努めていた。彼女を、それを機に他のラグズたちを仲間に引き入れるのだ。それが叶えば脱走も絵空事から遠ざかろう。妬みなどで、可能性を押し潰すのは愚だ。
 
 冷めた頭で、三人をどう説得しようか、ここから脱出する策はないかと思案していたが、砂を食む音がそれを遮った。厚い壁を通り越してベオクの気配が伝わってくる。彼らはムワリムのような獣牙の一族とは違い、夜は目があまり利かず、加えてこの寒さが彼らの砂漠の夜の行動を制限させていた。普段は火を起こした天幕の中からほとんど出ない。
 ただならぬ雰囲気に体が強張る。地下へと降りる足音を聞いている時の感覚が蘇える。鍵が解かれる音がして、冷えた空気が一度に箱の中を満たした。

 松明の眩しい明かりにムワリムは目を細める。
 商人たちはそれに構わず無造作に牢内を照らし、乱暴な足取りで目的へと進む。昼間捕らえられた、あの鴉の女の場所だった。
「……っ!何するのさ!」
 ベオクよりも闇に弱い彼女は、松明の強い光で、彼らが自分に何か危害を加えようとしている事にようやく気付いた。必死の抵抗を向けるが、ラグズと言えど女の力は非力すぎた。松明を握ったままの拳が女の頬に直撃する。
「止めろ!」
 鎖を派手に鳴らし、ムワリムは商人らに飛び掛ろうとした。だが、腕が男たちに届く前に鎖がぴんと張り、動きは阻まれる。男の一人が振り向きざま、拳をムワリムの顔面に突き出した。激しい衝撃を鼻に受け、後ろによろめいた。
 衝撃の痛みはすぐに引いたが、熱は体中に広がった。体内の血がざわつき始め、ムワリムの肌を粟立たせる。
「おい、こいつ化身しやがるぜ」
 ベオクとて、背後の異様な気配に気付いたらしい。暴力の手を止め、仲間へ目配せする。奴隷商らは捕らえたラグズが化身する事を恐れるが、鎖で四肢を縛られた状態では、彼らは慌てる素振りも見せなかった。ゆらりと体をムワリムへと近付ける。冷酷な力は鴉の女ではなく、ムワリムへと向かい始めていた。
「そう言えばこいつ、砂嵐ん時がきと一緒にいた奴だ。あん時ぁがきのついでに捕まえたが、ここまで凶暴となるとなあ」
 男二人は卑しく歪んだ顔を見合わせた。
「このご時世、客も贅沢は言わねぇが、ここまでとなりゃ二束三文でしか売れねぇだろうよ」
「買い手がつくかどうかも怪しいもんだ。置いておくだけでもただじゃねえ。いっそ殺っちまうか」
 ムワリムの背中に冷たい汗が流れる。化身するか否か足踏みしていたが、命の危険が伴えば答えはひとつしかない。腕から肩にかけて何かがざわついているのを感じていた。それが驚くほど強くなり、ムワリムの背中を押している。
「おい、あれ持ってこい」
 奴隷商のひとりが天幕へ急ごうと移動式牢の扉を開けた。その途端、何かが男に飛びかかった。呻く間もなく男は倒れ込む。手にしていた松明が力のない手から転がった。
「ムワリム!」
 大きな影が牢の中へ飛び入る。聞き覚えのある声がムワリムの鼓膜を打った。
「まだ、もう一人いる」
 仲間の毛だらけの耳に、ムワリムは口を寄せた。素早く向きを変える虎に、殺しはするなと告げた。それが聞き入れられたかどうかは祈るしかない。
「なんだてめえ……っ!」
 先刻とは違い、明らかな狼狽の色があった。男は短剣ひとつ持っていない。相方の手にあった松明は床を焦がし、橙色の炎を広げようとしていた。捕まっている他の獣牙族らが悲鳴を上げる。虎の姿になったムワリムだが、手足を束縛する鉄の輪は頑固に彼の足腕を繋いでいた。
「鍵!鍵はどこにある!?」
 吼えるような声を男に向けるが、持ってねえ!と乱暴に返された。
 こんなところで死んでたまるか……!
 枷が足に食い込み、痛みが走ろうともムワリムは鉄の鎖を引っ張り続けた。その甲斐あってか、打ち付けられた金具の周囲の壁に、亀裂が走っていく。自由が日の目を見せ始めた。
「お前たち!化身するんだ!」
 獣の力ならば何とかなる。その希望を彼らにも与えようとした。しかし、二人の獣牙の男は震え上がっているだけだった。あの鴉の女とは違い、彼らは奴隷であった。化身する術を知らない。鎖を引きずり、彼らを縛る鎖を口に咥えた。
「捨て行け、ムワリム」
 奴隷商と対峙していた仲間がそう叫ぶ。しかし、ムワリムはそれを受け容れなかった。鋭い歯で鎖を噛み、引っ張る。
「頼む。獣牙の兄弟よ」
 獣牙の兄弟よ。
 そう雄叫びを上げ、解放してくれた金の虎を思い浮かべる。あの虎の同胞は、ナルデン領でのベグニオン中央軍との戦いの傷が元で、砂漠に逃げ延びた矢先に斃れた。今度は、ムワリムが奴隷たちを呼び覚ます番なのだ。
 床は炎を強め、熱で今にも焼け焦げそうだった。それを堪え、ムワリムは奴隷たちを睨んだ。
「お前たちにもこの力がある。それが本来のラグズの力だ。鎖で繋がれ、使役される身ではない」
 二人は青ざめて互いの顔を見合わせるも、化身する気配はまったく感じられなかった。
 駄目なのか。
 諦めが浮かび上がってくる。背後で燃え盛る炎の中、仲間が叫んだ。
「ムワリム!もう限界だ!」
 壁が燃え、牢自体が脆くなったせいもあり、化身した鴉の女は炎に飲まれる前に飛び立てる事ができた。腰を抜かす奴隷商を飛び越え、仲間の虎も火の箱から出んとしている。
 足を焦がそうと諦めたくはなかった。彼らを奴隷のまま死なせる訳にはいかない。
「危ないぞ!」
「でもムワリムが」
 燃え盛る炎の向こうで、子供の高い声が聞こえた。ムワリムの丸い耳がぴんと上を向く。こんな中でも、彼の声だからこそ、ムワリムの耳に届くのか。
「ムワリム!ムワリム!」
 少年は、炎をかいくぐり、獣となったムワリムの許へ戸惑いもせずに駆け寄った。
「坊ちゃん、危ない……!来ては駄目だ」
「鍵持ってきたぞ」
 制止の声も聞かず、トパックは熱された鉄の輪に鍵を差し込む。それが開かれるとすかさずムワリムと虎の仲間は二人の奴隷、そしてトパックを咥え、出口を塞ぐ真っ赤な炎の中に飛び込んだ。目の前が橙と赤の世界に染まる。





 砂漠には慣れていないトパックとビーゼだが、ビーゼのラグズ特有の―――獣牙族より鳥翼族の方が強い―――嗅覚が二人を砂の迷宮を彷徨わせずに済んだ。トパックの元いた家へは、三日とかからずにたどり着けたのである。
「……ただいま……!」
 息を弾ませて入り口をくぐる。ムワリムが。きっとムワリムが迎え入れてくれるに違いない。だが、その期待はラグズたちの冷たい視線に砕け散った。
「お前……」
 突き刺さるような冷たい視線は、やがて憎悪に燃えていくのを、幼い子供でも知り得た。ムワリムは、と震えながら問いても、誰もが口を硬く結んでいる。その中の一人が、ようやくトパックに向き直った。
「それはこちらが訊きたい。お前たちが出て行った後、凄まじい砂嵐があった。ムワリムはどうした?なぜお前だけ帰ってきた?」
「それは……」
「あの人とはばらばらになって、わたし達だけ助けられたのです。北東の方に人里があって」
 口ごもるトパックにビーゼが助け舟を出した。しかし、獣牙の男はぎろりとビーゼを一瞥するだけで、すぐにトパックに激しい感情をぶつけようとする。
「ムワリムはおれ達にとって大切な同胞だ。だが、お前は違う。この際言っておく。ニンゲンを育てるなど、我々は反対していたのだ。ムワリムがいない以上、お前をここに置いておく理由はない」
「……っ!」
 ありったけの憎しみを向けられ、トパックは胸がひどく痛んだ。しかし、それは突然の事ではないと頭の隅から誰かが告げている。彼らの今までの自分への態度から、こうなる事はわかっていたのだ。トパックはケープを翻らせた。
 ムワリムを探しに行く!
 育ての親がまだ砂漠のどこかで彷徨っているかもしれないのだ。探さない訳にはいかない。それに、ラグズの仲間に否定されたまま萎れていては、彼も悲しむだろう。トパックは来た道を走り行く。二人が歩いた跡は、砂にまだ残っていた。


「……あいつがムワリムの代わりに死ねば良かったんだ」
 少年が過ぎ去った後を、ラグズのひとりが憎らしげに吐き捨てる。呆然と残ったビーゼは、深く呼吸をし、口を開いた。話す事自体慣れていないので、人に話しかけるのは緊張するようだ。
「あの……」
「何だ、お前」
「奴隷……でした」
 奴隷、と聞いてラグズたちは顔を見合わせる。排他的な態度が変化していくのをビーゼは感じた。
「生きてます、ムワリムという人。わたしが”飼われて”いた奴隷商人のところだと思います」
 ここからそう遠くないところに、奴隷商は天幕を張り「仕入れ」の拠点としていたのだ。ビーゼはそこから見知らぬ虎のラグズの気を感じていた。それも強く。彼女のような奴隷のそれとは違う、生きる気配だった。
「それに、あの人……トパックはずっとムワリムさんの事を気にかけていたのです。わたしも彼に元気付けられました。わたし、彼を奴隷にしようと捕まえたのに。どうか信じてあげてください。あの人は、わたし達を虐げてきたベオクとは違う。あんなにムワリムさんの事慕ってるじゃないですか」
 今まで、こんなに強い感情を言葉で表した事があっただろうか。自分でも驚くほど、ビーゼは初対面のラグズたちの瞳を見つめ、口を動かしていた。
 そんなビーゼの必死の訴えを、ラグズたちは苦い顔でじっと見ていた。



 熱いさなかに飛び込んだのは一瞬の出来事だった。毛先がちりちりとなるが、炎が移る事はなかった。しかし、安堵する間もなく殺意が降ってきた。
「この野郎!ぶっ殺してやる!」
 用心棒らしき大柄なベオクが、ムワリムの頭上めがけて棍棒を振り上げていた。気付いた時にはいびつな木の塊がムワリムの眉間に影を落としていた。一撃を食らうかと半ば覚悟すると、棍棒は瞬く間に火に包まれた。男は悲鳴と悪態を振りまきながら真っ赤に燃え上がる棍棒を放り投げる。
「ムワリムっ大丈夫か!?」
 ムワリムは唖然と少年を見た。今のは魔道。炎を起こした精霊は、確かに小さな体の周囲にいる。そして、以前嗅いだ事のある魔道の匂いも、彼がまとっているのだ。
 坊ちゃん、まさか。
 複雑な思いが胸に生まれるも、ムワリムは首を振る。今は奴隷商人らを砂漠から追い出す事に専念しけなれば。砂漠の夜空にムワリムの咆哮が吸い込まれて行った。



 暗い空にもうもうと煙が立ち昇る様と、方々に駆けていく馬をじっと見送っていた。
「ムワリム!」
 少年の声にムワリムは我に返り、瞬時に化身を解いた。長い毛並みが急に引くと、夜の冷たい風が一斉に腕を撫でた。
「坊ちゃん……!」
「ムワリム、ムワリム……無事でよかった」
 トパックが胸に飛び込むと、太い腕でひしとかき抱く。再び逢えるなんて。その喜びで、危ない事をした彼を咎める気は消えてしまったようだ。
「みんなも。私の為に……ありがとう」
 助けに来てくれた仲間たちにも向き直る。まさか忌み嫌っていた少年と共に助けに来るなんて。どういう経緯かは知れぬが、喜ばしい事この上なかった。
「いいって事よ。ニンゲンどもは尻尾巻いて逃げてった。凶暴なラグズがいると知れば手を出さないんじゃないか」
「いいや、奴らは最近手段を選ばないようだ。いずれ機を整えてくるだろう」
 仲間のひとりが、尖った犬歯を見せた。しかし、それは楽観というものだとムワリムは警告する。
「あのさ、それでなんだけど」
 ラグズの会話に、おずおずとベオクの少年が割り入ろうとする。少年には珍しく、歯切れの悪い口調だ。
「おいら達、このままでいいのかな。またあいつら来るんだろ?」
「……あのな、坊主」
「坊主じゃない。おいらトパックって名前もらったんだ」
 もらった?誰に?
 ムワリムは首をかしげるが、それを察する事なくトパックは言葉を続ける。他のラグズたちも、もう彼を否定する気持ちは薄らいでいるせいか、名があると聞いてもそれほど驚きはしなかった。
「おいらさ、里で奴隷の事を教えてもらってから考えたんだ。奴隷をなくす方法はないかって」
「奴隷を、なくす……」
 いつの間にか、他のラグズたちもトパックの周りで耳を立てていた。自らではなく、同胞らの完全なる解放。それは同族意識の高いラグズらにとって、願ってもない事だった。
「うん。ベグニオンって国にはさ、まだたくさんの奴隷がいるんだろ?そいつらみんな自由にしてやるんだ!」
「みんなって……具体的な策はあるのかよ」
「それはまだわかんないけど。でも、みんなで考えればいい方法が見つかると思うんだ!」
「おいおい」
 ラグズたちは呆れ顔でトパックを見ていた。だが、それは本心からの失望ではない事は明らかだった。ベオクの少年を完全に受け入れた訳ではない。けれど、頑なに隔たらせていた壁は、ゆっくりと溶け始めていた。
 それを察した少年は、きらきらした瞳で彼らを見回している。そんな彼をムワリムは目を細めて見ていた。
 生きていたのではなく、ただ生き延びただけだった。次はその命を、我々の苦しみの根元を断ち切る為に使おうと、ベオクの少年が教えてくれたのだ。いつしかラグズとベオクの確執は消え失せ、誰もが安らかに暮らせる日々がやってくるかもしれない。
 ムワリムの大きな手は、軽々とトパックの体を持ち上げ、自らの肩に乗せた。
 生きていこう。再び自分たちの存在を否定され、脅かされる事があっても。この重みが、彼にそう強く誓わせてならない。


10/01/31TOP

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