02 うなじに



 外の空気は、まだひんやりとしているが、訓練場は熱が籠っていた。
 それを気にする様子もなく、荒く短い息遣いと鉄のぶつかる音が響く。剣がぶつかって離れると、双方の髪からは汗が飛び散った。
 剣を交える二人には身長差がある。性差だけではなく、ソールは平均よりも高い方だし、ソワレは低い方だ。だが、その不利をものともせずに、ソワレの身体はソールを押してしていた。
 
 がきっ、と大きな音がして剣がぶつかった。女の唇がわずかに歪む。苦痛ゆえではない。
 気魄だ。いつかソワレが緑髪の友に言った言葉だ。どこか気弱な部分があるソールだったが、訓練を重ねていくうちに、今ではソワレの言葉が実を結びつつあるように思えた。

 それでこそ"黒豹"だよ。
 いにしえの聖王に仕えた騎士の二つ名に近付いている事に、ソワレは喜びを隠さずにいた。友が強ければ、若しくは強くなって行くのを実感する度心躍る。ますます己の身も引き締まる思いだ。
 ソワレは敢えて一歩後ろの土を踏みしめた。相手の剣を受ける力を緩める。その所作にソールは少し慌てたように見えた。やはりこのまま力押しで行くつもりだったらしい。ソワレは内心で、甘い、と呟いた。


「うわっ」
 と情けない声が、続いて土埃が天井に目がけて舞い上がった。
「大丈夫かい?」
 大きな手が目の前に差し伸べられる。土埃が鎮まる頃には頭の中で状況が明白となり、驚きと悔しさと、ほんの少しの嬉しさが混ざって、上手く言葉が出ない。参った、と言うまで時間がかかった。
 
 ソワレは表現できない複雑な表情のまま、ソールの手を取ろうとした。しかしそれと同時に腿に痛みが走り、立ち上がる事は叶わなかった。思ったより強く打ったらしい。
「大丈夫?」
「不覚、不覚、だったよ……まったく」
 痛みよりも、自分が土を付けられた事実の方が響いている。自分がかわす事を、彼はあらかじめ予見していた。力押しだとばかり思われていたソールの身体は、ソワレに剣を受け流された振りをして、すぐに体勢を整えて斬り込んで来たのだ。予想外と素早い動きに、ソワレはあっさりと押されてしまった。

「ソワレ、とても痛むの?リズを呼んで来ようか?」 
 一方勝利者は、自分が負けた時よりも困惑した様子で、痛みに屈むソワレを覗き込んでいた。ソワレは何かを振り切るように、赤い髪を大きく振った。
「ああ、本当に不覚だ。迂闊だった。こんな転び方をするなんて」
 友の上達を喜ぶ傍ら、自分は絶対に負けるはずがないと慢心しきっていたのだ。油断は一番の敵だと日頃言い聞かせておきながら、何たる体たらくか。

「ほら、無理しないで」
 ソールはソワレの手を半ば強引に取り、自分の肩にかけようとした。身長差がソールをひどく縮こませた体勢にする。これでは治療室へ辿り着くのにかなりの時間がかかってしまう。おまけにかなり間抜けな格好だ。
「大丈夫、あるけ……っ!」
 最後まで言葉を発する前に、ソワレの身体は宙に浮き、ソールの背中に納まる形になった。同じ間抜けな光景ならば、効率のいい方を選んだのだろう。
「降ろせ!」
「嫌だよ」
「誰かに見られたら……!」
「別に見られたってどうもしないよ。今さら」
 そこでソワレは諦めた。確かにそうだ、と、軽くため息をついて背中に半身を預ける。
 広い背中。背が高いせいで細身に見えるが、この服の下には堅く張った筋肉がある事を知っている。女のソワレの体つきとは到底比較にならない。性差で実力を測られるのをひどく嫌うが、本音はやはり、羨ましくはある。
 
ソールの後ろの髪がいくつか跳ねているのを見つけて、指が自然と濃い緑の束を掬っていた。彼はいつも、寝ぐせを直す間も惜しむ程ぎりぎりまで眠っている。方々に跳ねる様を気にしていながら。
「今日も随分と跳ねているね」
 首が隠れるまで伸びている濃い緑の髪。当然、ソワレのそれよりも長い。彼女本人の髪は、剣を握った時から、手入れが億劫でばっさりとさせていた。それゆえ男と間違われる時もしばしあるが、あまり気にしていない。
「いっそ切ったらどうだい?」
 緑の髪の束は、ずっとソワレの指に絡まっている。弄んでいたら、髪の間からすっかり汗の引いたうなじが覗いた。
「そうだな……でも、ソワレが早く起こしてくれたら、髪も整えられるよ。訓練もいっ」
 ソールの声はそこで跳ね上がった。
 指でなぞられる感覚。かかる温かい息。そして柔らかい感触が、髪の下に集中したからだ。
「情けないね」
 我ながら卑怯だとは思いながらも、胸に満ちる気分を否定する事はできなかった。



 
12/05/30   Back