悲しい日

 生まれ育った故郷に還っても、その生活の中身は一変している。
 美しく、広大な領地と城。ともにいる人は「家族」。家族と呼ぶにはまだ抵抗はあるけれども、少なくとも、彼は血族なのだ。
 
「君の姿が見えなくなったからね」
 ともにバーハラの城で暮らすようになって最初の月。セリスさまはよくそう言ってわたしを探していた。グランベルで一番大きなこの城で、彼はよく迷っていたのだ。彼の従者も解放戦争から従えていた人で、二人でよく迷子になる。二人を探し、同じ場所に引き合わせるのもわたしの役目だった。
 従者の意味がないじゃないですか、と本心から告げても、セリスさまはなだめるだけだった。


 けれど、透き通るような声がわたしを呼ぶ事は次第に少なくなった。原因は至極単純、セリスさまが城の造りに慣れてしまったからだ。それゆえに、道案内役は、自然と解かれてしまった。
  新しい環境に慣れるため、と道案内がてら一緒に歩いた中庭も、今は鳥たちが相手を勤めてくれている。廊下をせわしなく歩く従者の姿も近頃見かけなくなった。食事すらも、忙しいと言って執務室で摂っていた。新しいグランベルの君主となったセリスさまには、時間はいくらあっても足りない。そんな多忙な兄を支えるのは、自分ではなく、宮仕えの者たちだった。わたしはただ、王の妹としてバーハラの城にいる。

 兄、そう彼はわたしの兄弟だった。
 イザークで出会い、解放軍に加わった時は、血の繋がりなど欠片も想像できなかった。
 もし、もし、イザークで彼が兄だと知ったら、わたしは手放しで喜んだだろうか。記憶もなく、養い親の手から離れて不安な中の唯一の肉親。
 セリスさまと出会ってから、レヴィンさまとは違う、確信のない安心感を寄せていた。いつ失ってもおかしくはないというのに。
 

 一番近くにいて、一番遠くにある人。
 それが、今のセリスさまを現すのに最もしっくりくる言葉だろう。昔読んだ本で知った言葉だが、今ではそれが痛いほどわかる。
 物音がよく響く広い城も、優しい声は伝えてはくれない。けれど、侍女を通じて王の大まかな行動は知られる。
 声が聞きたいから、という理由で逢いに行けるほど、彼は暇ではなく。暇ではないはずなのに、急に開かれた扉から現れた時は、心臓が飛び跳ねるほどだった。
「最近、君の顔を見ていないと思ってね」
 緩やかな笑みでセリスさまはそう言った。同じ城、つまりは同じ屋根の下にいる家族でありながらの言葉。おまけに片手に花。気軽に家族に会うとはかけ離れた状況が奇妙だった。奇妙でおかしくて仕方がなかった。
 わたしはセリスさまの手土産を受け取ると、お湯や茶器のある侍女の部屋へ急いだ。その道のりで、今までセリスさまに委ねていた安心感が崩れ落ちたのだと知った。それを紛らわそうと、わたしは大ぶりの花の匂いを胸に満たした。
10/04/30   Back