22 うたごえ

 ただ、サカの人間が珍しいだけだったのかもしれない。幼さが抜けない顔はエトルリア人の顔つきとは違う。髪の色も質も、纏っている服も見た事がないものであった。

 育ったエトルリアの上流社会ではサカ族は「野蛮」だと蔑まれていたが、それは間違いなのだと確信した。いつしか戦場で、野営地で、いつの間にか彼の姿を探すようになった。修行中である身は剣に憶えのない目からしても危なっかしく、案の定無数の傷を作っては自分の元へやってくる。その手が傷よりも深い豆だらけなのを知っているの者は、他にいるのだろうか。

 

 彼もまたエトルリアの貴族が近くに入るのがよほど珍しいのか、いつも近くにいてくれる。何度か言葉を交わすうちに「守ってやるから」と言ってくれた。それだけで、重たかった心がどれほど軽くなっただろう。ずっとそばにいたいと、一緒にいたいと思うようになった。けれど、



「わたし、ギィさんの事がーーー」

 どういう流れでこの言葉が出たのか、本人すらわからない。紡ぎ出される言葉が終わらないうちに、ギィはプリシラの元を飛び出してしまった。夜の森。細い月がわずかな光を放っている。ギィの駆ける音に驚いたのか、梟がばさばさと音を立てて飛び立った。

 なぜ逃げるのか、プリシラにはわからなかった。それが迷惑ならば言葉で言えばよい。彼にとってそれほど穢らわしい言葉だったのか。彼で満たされていた胸が痛み出す。今までの仲の良い「旅の仲間」という関係が崩れてしまうのか。

 薄い月明かりを頼りに森を進む。恐くないとは言わない。本陣から随分と離れてしまった。しばらく歩くと、朽ちた木々が倒れ、森が開けていた場所に辿り着いた。弱めの月光も、その場所ならサカの少年の背中をはっきりと照らしていた。彼もここへ着いたばかりらしく、走って来た呼吸を整えようと、肩で息をしている。呼び掛けようとして、プリシラはそれを止めた。突然で声をかけたのでは彼が驚いてまた逃げ出すかもしれない。

 やがてギィの息が落ち着くと、彼は背を伸ばして月を仰いだ。





    夜が明け、出てきた赤い太陽の光

    草の上に昇ってきた

    その時の草の美しさよりも

    おまえの胸についている二、三の釦の方が好きだーーーーーー





 短いが、はっきりと旋律になっていた。聞いた事のない歌。恐らく、彼の故郷の歌なのだろう。本当はもっと長いのかもしれない。音が外れているかもしれない。だが、そんな事はプリシラにはどうでもよかった。

「ギィさん」

「わっ!い、いたのかよ・・・」

 驚きと羞恥で顔を赤くするギィに構わず、プリシラは近くに歩み寄る。

「今の歌・・・」

「こ、こ、故郷の歌でなっ。そのーーーーー」

 後頭部を掻くギィの目線は、定まらない。

「先ほどわたしが言おうとした事と、関係が?」

 わかっている答えだが、直接彼の口から聞きたかった。だが、相変わらず赤い顔のギィは、覗き込むようなプリシラの瞳を避けるようにして首を振る。

「あ、あれは練習なんだ!あんたがいきなりあんな事言うからーーー本当は、おれの方から言うつもりでーーー」

「それではわたしの前でもう一度歌って下さい」

「あのなぁ。心の準備ってもんがあって・・・」

「では言葉でも。わたし、心の準備とやらができるまでずっと待っていますから」

 プリシラの白い指がギィの血豆だらけの手を取り、夜風で冷えた頬に添えた。



※作中の歌は Balakan Alekseyj 作/荒井幸康 訳「三つの絵」より引用。

2007/01/28戻る