24 傍にいたい



 深い夜空だというのに、一向に眠る気配はなかった。夜目が利かない鳥羽族ですら、ほんのりとした灯の元で仲間と話し込んでいる。明るい表情の者もいれば、その真逆の者もいた。前者がしきりに落ち込んでいる仲間の背を叩いていた。

 マーシャも鎮まらぬ心を弾ませて野営地を歩いていた。所々から聞こえる笑い声は、明るいものなのに、かえって胸を締め付ける。明日の戦いがどのようなものか知らない者はいないのだ。

 荒ぶる気を敏感に感じ取った天馬をなだめようとするが、天馬はその手を払い除けるように白い鼻先でマーシャの頬を撫でる。

 「ごめんね。心配かけちゃって」

  主の方が逆になだめられてしまった。思わず漏れた笑みに、もう一度天馬は頬を撫でた。

 「マーシャ殿ではないか?」

 その声とマーシャが気配を感じて振り向くのは同時だった。夜の暗がりに慣れた目は赤毛のクリミア騎士の姿を捕らえていた。

 「ケビンさん・・・」

 張り詰めた心を必死で隠そうとする他の仲間たちとは違い、このクリミア騎士の表情はいつもと変わらないように見えた。この人は誰よりも気が立っているだろう、と思っていたマーシャは驚きを隠せなかった。だから会いに行くのをよしていたのに。

 「こんな遅くまで起きているなんて感心しないな。明日にさわるぞ」

 「ケビンさんこそ」

 ケビンの頬が上気して赤くなっているのが暗がりでもわかる。衣服も汗ばんでいる。先程まで訓練していたのだろう。

 「おれは大丈夫だ。何せ」

 「クリミア騎士だから、でしょう?」

 「うむ。その通り!」

 ごく自然に胸を張る姿に思わずマーシャは笑ってしまった。この人だけは何も変わらないのだ。心が少しだけ軽くなった気がする。

 「む・・・何がおかしいのだ?」

 「だ、だって、ケビンさん、明日はクリミアを取り戻すための戦いなのに・・・」

 「そうだ!だからこそ常日頃の慣習を忘れてはいかんのだ!祖国奪還を目前にして浮き足立っていては満足のいく戦いができん」

 祖国の事を語り出すとつい熱が入るのは彼の癖だった。強く握りしめた拳はわなわなと震えている。マーシャはそれにいつもと違う何かを感じた。

 ああ、この人も、不安で堪らないのかな―――

 それを覆い隠す為に今まで斧を振っていたのかもしれない。あくまで予想なのだが、鼻の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

 「ケビンさん、明日、頑張りましょうね」

 「うむ!祖国奪還の為に!」

 「ちょと、ケビンさん・・・!」

 ケビンに手をガシッとつかまれ、ぶんぶんと振られた。何度か経験済みの事ではあるが、いつも思いもよらない場面でされるので心の準備が整わない。更に、力一杯自分の手を握るケビン自身は、純粋に友情の証だとしか思っていないのだろう。

 「では、おれはこれで失礼する。マーシャ殿も明日に備えて休まれよ」

 そんなマーシャの戸惑いも知らずか、ケビンは晴れ晴れとした表情でマーシャに手を振った。暗がりで光る白い歯が恨めしい。

 「はい。ケビンさん、また明日・・・」

 お互い背を向けてそれぞれの場所へ向かう。肌を撫でる空気が、冬の名残りが未だ残っている事を告げていた。

 「あ、そうだ。マーシャ殿」

 振り返った先には、先程の自身に満ちた表情ではなく、少し照れたような顔だった。

 「こんな時に言うべき事ではないかと思うが・・・」

 マーシャの全身に緊張が走った。まさか、まさか。

 「マーシャ殿は、クリミアを奪還できた後はどうするのか?」

 「え・・・っと・・・あ、聖天馬騎士団は除隊しましたし、このままアイクさんの所に置いてもらおうかな、と思っています」

 落胆を必死で隠しながらマーシャは答えた。苦笑いになってしまっていないか。

 「そうか。ならば我がクリミア騎士団へ来てはいかがか?」

 「へ?」

 「何せクリミア再興には人手は喉から手が出るほど欲しいしな。うん、そうだ。マーシャ殿の実力なら申し分ないっ」

 その語気は徐々に熱が含まれていった。ガシッとマーシャの肩をつかむ。

 「どうだっ!?」

 「・・・・・・・!」

 急に顔を近付けられ、マーシャの心臓は爆発しそうだった。必死でケビンの胸を押し、距離を取る。

 「か、考えておきますっ。今は勝つ事だけしか考えられませんから・・・!」

 なんて事をするんだろう、この人は。

 その答えで納得したのか、ケビンは「そうか」と言うと両手をマーシャの肩から離した。

 「そうだよな。今は明日の事だけを考えなければ。だが、クリミア騎士の件、是非とも考えてくれよ」

 「は、はい・・・」

 呟くような返事をすると、ケビンは満面の笑みをたたえて片手を上げる。またもや光る白い歯が、悪気はないと言わんとばかりで何とも恨めしく見えた。

 「・・・・はぁ・・・」

 今度こそ去って行く背中を見送りながら、マーシャは溜め息をついた。

 いつも思いがけない行動を取るケビン。そんな彼をマーシャは出会った時から目が離せないでいたのだ。それも明日の戦いに勝ち、長かった戦争が終わればもうケビンの姿を側で見る事はできないのだ。

 だが、自分は祖国ベグニオンの聖天馬騎士団を除隊した身。身軽なこの身は何とでもなる。ケビンの望むままクリミアにいる事も可能なのだ。

 「クリミア騎士、か・・・・・」

 だが、今は明日の戦いに勝つ事が先決だ。マーシャは愛馬の鼻を撫でると、野営地へ向かって行った。


2006/05/31 戻る