27 甘いことば



  生き延びるためには、ありとあらゆる手段を使わなければならない。例え周りから何と言われようと。それはこの生業を選んだ時からわかっていたはずなのに。

 「いや、別にこれは生き延びるとか、そんなのは関係ない事だから・・・」

 「?何か、言いましたか・・・?」

 「い、いや、別に」

 一体誰に弁解しているのやら。

 ふと隣の賢者の方を見ると、薄い紫の髪をご機嫌に揺らしていた。いつもなら、一緒に歩くとその速度がだんだんと遅くなり、何度か彼女を待たなければならない。目的地に着くまで普段の二、三倍はかかってしまう。行軍の際、彼女は常にモウディの背に乗っていた。その彼女は今ずっと自分と並行して歩いていた。(少しゆっくりめに歩いているのだが)それほど嬉しいのだろう。だが、目的地へ近付けば近付くほど、おのが心中は罪悪感が膨らみつつあった。

 誘ったのは自分だ。それに目を輝かせながらついて来たのは彼女。彼女を騙そうとか、やましい事をしようとかそうではない。だが、純粋に喜んでいる彼女にこうも胸が痛むのは、心の奥底に下心があるからなのだろう。だが、もう引き返す事はできない。引き止める前に、彼女が先に目的地を見つけてしまった。

 「あ、ここですね」

 「そうそう。この看板目立つから」

 真っ赤な塗料で塗られた、おれの身の丈ほどの看板の周囲は花で飾られ、白い塗料で荒々しい筆跡で宣伝文句が書かれていた。周りの環境と調和しているとは言い難いが、様々な意味で人の目を惹いているのは、宣伝として成功なのだろう。

 『女神様に感謝。ベグニオン産アヒルの丸焼き 一刻食べ放題 男性 2500G 女性 2000G』

 一度の食事に使う金額ではない。だが、幾ら食べても料金が変わらない、という所が安心できた。一たび彼女を食事に連れて行けば、次の給金日まで何もできなくなってしまうのだ。

 「いらっしゃいませ」

 躊躇なく店に入る背中を追って、おれも慌てて店内に入った。

 君は他の男から誘われても、こんな風に何の疑いもなくついて行くのかい?

 軍の中の、顔見知りの奴ならまだしも、全く知らない人間に対してもそうなのか?

「食事に連れて行ってあげるよ」この言葉ひとつでその儚げな顔を綻ばせるのか?

 そんな事をいちいち考えていても無駄な事だった。彼女が軍内でたくさんの男から食事に誘われているのは有名な事だった。いや、女からもだ。

 普段からは想像もつかない早さで肉を切り分け、それを嬉しそうに口へ運ぶ彼女をつい眺めてしまう。おれが一切れも食べ終わらない内に、彼女は皿に残った最後の一切れを口に放り込むと同時に二皿注文する。その鮮やかさは呆れを通り越して感心してしまう。店内の客、給仕、厨房の店主に至るまで全ての人間が自分達のテーブルに視線を向けているが、それももう慣れてしまった。

 

 「まだ半刻も経ってなかったはずなのですが・・・」

 彼女は不満そうに店を出るが、おれに言わせてみれば予想の範疇だった。むしろ、一刻も彼女に食べ続けさせた方が心配になる。

 「今日はアヒルが少なかったんだってさ。仕方ないさ」

 支払いを済ませた財布は相変わらず寂しそうに萎んでいた。急に剣の手入れに必要な打ち粉の残りが気になった。ムワリムはまだ打ち粉を持っているだろうか。

 「ツイハークさん」

 珍しく名前を呼ばれ、おれはふいに顔を上げた。

 「とてもおいしかったです。ごちそうさまでした」

 ああ、それは反則だよ。

 その少しだけ元気そうな笑顔とその言葉だけで、おれは満足なんだ。

 この言葉をいつ言おうか、おれはそのタイミングだけを考えるはめになってしまった。


2006/05/25戻る