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 庭は広く、セリスが生まれ育った小さな館がいくつも入りそうだった。戦時中―――セリスが始めて足を踏み入れた瞬間でさえ、バーハラの領地と城は毅然とした美しさを少しも損ねていなかった。
 立派な城を取り囲むその場所は、植えられている花はもちろん、今足を踏みしめている芝の一本一本まで丁寧に手入れされているようで、むず痒く感じている。イザーク育ちであったゆえではない。運命の歯車が違えば、この城で自分は育っていたかもしれないと思ったからだ。
 
 いや、これ以上は止めておこう。
 セリスは頭を軽く振り、それ以上の思考を無理矢理止めた。解放軍の旗がバーハラ城に立ち並び、王となった時よりしばらくして、セリスは時折もし、と考えては止めていた。もしあの時こうであれば、その先の仮の未来は、など考えてもどうしようもないではないか。
 己の境遇に嘆き悲しんでいた幼い頃、レヴィンは容赦ない言葉をセリスにかけていた。
 
 お前の父は死んだ。母は父の仇の妻となった。泣いて覆るのならいくらでも泣くがよい。今のままでは何も変わらぬのなら、変える方法を考えよ。

 今となってはただ幼い心を焚き付けていただけかもしれない。
 レヴィンの掌の上であれども、セリスは立ち、解放軍の盟主になり、そして王になった。それは自分の願いでもあった。

 トウヒの梢から、小鳥が飛び出した。
 小鳥が青空へと吸い込まれるように飛んで行くのを見届けてから踵を返す。赤茶色の石の城は新しい主を静かに迎え入れいていた。



 胡桃の扉の蝶番が鳴った。
 振り返るより先に、ふわりと風が吹き、暖かい腕に包まれる。
「セリスさま」
 風のにおいと温もりが、見ずともセリスだとユリアにはわかっていた。それに、突然ユリアにこんなことをする人間など、セリスしかいない。
「ご政務は一区切りついたのですか」
「休憩していたところだよ。もうすぐ戻ろうと思ったんだけどさ」
 後ろから抱きしめた、と言うより、ユリアもたれかかっている格好だ。その姿勢のまま、セリスの手はユリアの眼前に一輪の花を見せた。
「まあ。クルシアナ」
 前にセリスと庭を歩いた時、まだ蕾にもなっていなかった。咲けばきれいな黄色い花なんですよ、と告げた記憶がある。
「もう咲いていたのですね」
「珍しいね。君が庭の花を見逃すなんて」
 最近、外に出ていないのだろう。そう言われているような気がして、ユリアは返す言葉を失った。肩の辺りにあるセリスの顔を振り向こうとしたが、視界には深い青しか入っていなかった。
「ごめん」
「なぜ謝るのです?」
「ここは君の城だ」
「あなたの城です。わたしは、あなたのお慈悲でここに見を置かせてもらっているだけ」
「そう、今はぼくの城だ。ぼくが奪った。君の兄から。父から」
 再びレヴィンの言葉が蘇る。お前の父は死んだ。母は父の仇の妻となった。
 だから、ぼくは奪ってやった。憎き仇から、何もかも。国を。城を。民を。そしてユリアを。
 ユリアの優しくも儚げな空気は、一層か弱くなっていた。父と兄の死の上に築かれた平和がやって来てから。
「父は、常に何を悔やんでいるような様子でした。母も、優しいのだけれど、影を持っていました。そんな二人から生まれたわたしは……」
「ユリア」
 クルシアナを握る手が、一回り大きな手のひらに包まれた。
 彼女はすべてを知ってしまった。父の所業も、母の出自も。してもどうにもならない後悔を、生きている子が一身に背負っている。それを分かち合いたいと思うのは、傲慢だろうか。
「もしぼくが、正式なグランベルの皇子として生まれていたら、きっと君はこの世にはいない」
「この世界で、親たちの選択で生まれたのが君で、ぼくだ。それがひとつでも狂ってしまえば、それはそれで幸せかもしれない。だけど、ぼくと君は同じ場所にはいないだろう」
 セリスの声は優しく、けれど淡々とユリアの耳をくすぐっていた。
「だから生きよう。今を、この世界で」
 クルシアナの黄色い花びらは、ユリアとその上のセリスの手により、強引に閉じられようとしていた。


10/04/14TOP

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