31 意地っ張り

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  露骨ではありませんが、性描写、またはそれを連想させる表現があります。年齢制限をするまでもないとは思いますが、何か不都合な事がございましたら掲示板かメールにてご意見をくださるようお願いします。






  足元には夜露が降りていた。身体が熱い。走ったせいか、それとも先刻の情事のせいか。冷たい風に、白い息がかき消える。

 今夜も誘ったのは彼で、頷いたのは自分。

 そもそもあれだけ軍中の女性に声を掛け、日頃不快な印象を与えていた相手にこうも関係を持ってしまった自分を恨まずにはいられなかった。異性に免疫がなさ過ぎるのが問題だったのかもしれない。上の妹の言葉を聞くべきであった。

 その甘い言葉も、優しさも自分だけのものではないと知っていてる。それが苦しくて、悔しくて、身体とは反対の言葉を投げかける。それに負け時と返すからかいの言葉が、眉間の皺をより深める結果になるのだ。

 月が明るく照らす夜も、嵐で行軍が滞った時も。天幕の湿った空気に混ざるのは、冷静な声と余裕のない掠れた声。昼間見せる優しさとは違う、意地の悪い性格。それが自分だけに向けられるとわかると喜びに震えてしまうのだ。それに気付かれないように振舞っているのだが、どうにも彼にはお見通しらしい。それが悔しくて、彼に投げかける悪態はより酷いものへと変わる。そして意地悪く片頬を上げる彼の腕や背仲に爪を立てる。だが、その翌日陽の沈まぬうちに「昨晩の傷が痛む」と彼を意地悪くさせる原因となってしまうのだが。

 

 この長かった旅に終幕の音が聞こえてきた。成り行きで出来たこの寄せ集めの軍隊は、それぞれの故郷へ帰って行く。それが二人の行く先の答えだとわかっているのか、彼は自分の耳元で一際意地悪く囁く。今さら感傷的になどなれるものかと悪態で返す。その姿はどれほど滑稽なのだろう、込み上げて来る涙を堪えるのに必死だった。





天幕の入り口を覆う布が揺れると、ひんやりとした空気が流れて来た。それが火照った体に気持ちいい。そそくさと去って行く影を見送る事もせず、彼はただ、そこにあった熱の名残りを見ていた。

 

 誘ったのは自分で。頷いたのは彼女。

 そもそもあれだけ自分の存在を否定しているとも言えよう彼女と、こうもすんなりと関係を持てたのは内心驚いている。軍中の女性に声をかけて、一際自分を煙たがっていた女性。正直一番弱い希望の光であったのだ。

 堅物な印象によらず、かなり遊んでいるーーー訳ではないようだった。

 甘い言葉に酔うでもなく、それでも受け入れてくれたのだが、どうやら自分が初めての男であったらしい。彼の下の彼女は怯えているようで、紅く濡れた唇から漏れるのは彼への悪態ばかり。嫌悪なのかそうでないのか、美しい顔には終始眉間に皺がよっていた。それがおかしくて、ついついからかうような言葉しか出て来なかったのだが。

 だがそれは今夜に限った事ではないのだ。

 月が明るく照らす夜も、嵐で行軍が滞った時も。誘えば彼女は応じてくれる。自分の下で彼女は悪態をつく。やがてその余裕もなくなり、ほとんどが吐息まじりになって行くのが何よりの愉しみではあるのだが。自覚するほど意地悪く笑うこの顔に、彼女は一層眉間の皺を深めて、熱くなった自分の腕や背に爪を立てる。その傷跡が彼女の最後の抵抗であろうが。その翌日、陽の沈まぬうちに「昨晩の傷が痛む」と囁けば、顔を真っ赤にして去って行くのだ。もしかしたらそれが一番の愉悦なのかもしれない。と思った程だった。

 そしてその小さな傷が完全に癒えぬ内に彼女はやって来る。期待通りに。そしてまた、自分の下で強がりを言うのだ。

 この長かった旅は終わる。成り行きで出来たこの寄せ集めの軍隊は、それぞれの故郷へ帰って行く。自分達の結末を彼は知っていた。いや、受け入れるしかないと思っていた。

 そのせいか、一際意地悪く彼女に囁く。それに対して、彼女は途切れ途切れながらも悪態で返す。その姿がおかしくて、愛しくて、突き動かす身体をより彼女が「困る」方向へ動かすのだ。

 

 シーツに残る暖かさが薄れて行くのを感じながら、己の心中には不安と焦りがせめぎ寄ってきていた。けれど、普段から円滑な唇は、この本心など紡ぎ出す事はなかった。言ったところで、何が変わる訳でもない。だから期待など、どうかしないで欲い。

 それでも、夜風が吹き込む度にちりちりと痛む傷が消えるのがたまらなく恐かった。

2006/11/22戻る