嗚呼もう食っちまいてぇ!

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「ギィさん、服を脱いで下さい」

 やはり女って値段よりも部屋の小奇麗さで選ぶんだ。おれが泊まっていた宿なんかとは全然違うな。

 ギィは案内されたプリシラが宿泊している部屋を見回した。街から高台にあるこの宿は、確かに彼女の言う通り眺めがいい。陽がほとんど暮れた中でもせわしなく人が動く市場、ぼつぼつと明かりが灯る繁華街。海面を照らす灯台。そしてまたたきを始めた星々。それらが街を昼間とは違った賑やかさを演出している。弾む心を抑えきれずに窓を開けると、潮風に乗ってジルバが舞―――

「だあぁぁっ!」

 ギィは全てを振払うように首を思い切り振った。

「あんた、何言ってんだよっ」

 思わず柄にもないモノローグが流れたじゃないか、と抗議するも、当のプリシラは口に手を当ててきょとんとしている。

「服の裾が焦げています。先程の『戦闘』で炎魔法が掠めたのでしょう」

 すい、とギィの前に白い手のひらが差し出された。そうして柔らかに微笑む姿は、端から見れば親切な少女に見えるが、彼女こそがその「戦闘」で炎魔法を掠めさせた張本人なのだ。素直に感謝できるはずもない。

「…………」

 ギィは憮然とした表情で上掛けを手渡した。受け取った少女は、この上なく幸せそうに頬を上気させていた。そう、その笑顔。これには絶対に逆らえないのだ。例えどんな恐ろしい事を考えていたとしても。

「ギィさんもどうぞお掛けになって下さい」

「あ、うん」

 言われるままに、清潔なシーツがぴんと張られているベッドに腰掛けた。腰が柔らかに沈む感触を最後に経験したのはいつの事だったか。

 それにしても―――

 ギィは改めてプリシラの方を見やる。このエトルリアの伯爵令嬢は単身、自分を追いかけて来た。本来ならばギィ自身、剣で大陸中に名を上げてから迎えに行くつもりだった。だから、自分を追いかけて来ているとわかっていても、あえてプリシラを避けるようにして各地を転々としていた。だが、捕まってしまった。旅を諦めさせてエトルリアへ帰す算段は今のギィにはない。「一度食い付いたら離れない」とは彼女の実兄の言だ。

 観念して一緒に旅をしようと、半ば諦めの気持ちになっていた。だが、いくらプリシラが強くても、闘技場へ行かせるのは賛同できかねる。だからギィは考えた。そうだ、こうやって服を繕ってもらおう。金銭のやり繰りは、自分よりかはしっかりしているかもしれない。

 エリウッド様たちと旅していた時だって、野宿もあったし、こいつも食事当番やってたしな―――って、こ、これってまるで嫁さんもらったみたいじゃんか!!

 そう思考が辿り着いた途端、ギィは壁際で繕い物をしているプリシラから目を反らした。恥ずかしさでまともに見れなくなってしまったのだ。だが、一度意識してしまうともう逃れられない。部屋には二人きり。部屋全体をかろうじて照らす明かり。それが、プリシラの白い肌に、スカートから覗くほっそりした脚に、濃い影を落としていた。じっと見てはいけないと思う反面、その白い肌に釘付けになってしまう自分がいた。自然に目を細めてしまう。

「ふふ……ギィさん、おかしい」

「なっ」

 ギィは文字通り飛び上がった。やましい思考を読まれてしまったか、と熱い頬に汗が伝う。

「お、お、おかしいって……」

 その姿と裏返った声も充分におかしいのだが。

「ギィさん、さっきから笑ったかと思ったら苦い顔して青くなったり赤くなったりして。百面相でも練習しているみたいです」

 ころころと笑う姿に、今までのやましい考えがより汚らわしいものに思えた。ギィはそれを完全に振払うため、首を横に振った。

「べ、別に何ともないっ!おれは自分の部屋に戻るよっ。おれはどこの部屋なんだ?」

 そうだ。長く二人きりになるからいけないのだ。

「戻るも何も、ここがギィさんの部屋です」

「へ?」

 至極当然という面持ちで、プリシラが言った。

「言ったじゃないですか。『わたし達の部屋』って」

 ギィは再び部屋を見渡す。言われてみれば、一人用にしては大きい気がするベッド。おまけに枕が仲良く二つ並んでいる。まるで錆び付いた歯車のようにぎこちなく首を戻すと、繕い途中の上着を机に置いて立ち上がったプリシラの姿があった。自然と、ごく自然とギィは後ずさりし、ぽすん、いう音と共にベッドに沈んだ。その沈み具合は、今となっては罠にかかった感覚に思えてならない。

「明かり、消しましょうか?」

 ギィの真正面に、可愛らしい笑みと緑の瞳があった。ギィは確信した。自分は草原の鷹に捕らえられた羊なのだと。


06/09/26戻る