お前をもらっていく!



 晴れ晴れとした顔と、軽やかな所作がメリオルでの収穫の具合を示していた。遠くで聞こえる明るい口調は熱を帯びていて、遠く離れた王都での興奮を冷ます事なく持ち帰ったのだとわかる。
 楽しんできたならいい。と、ボーレはミストの帰りに素っ気ない言葉を投げるだけだった。舌打ちを堪え、土産を抱えるミストの傍から大股で去る。今のミストに対し、こんな感情が湧き起こる自分に嫌悪を感じながら。
 この苛立ちは、寒さの中で芽吹く頃から始まっていた。傭兵団の面々とも馴染みの深いクリミア騎士が、結婚するという知らせが舞い込んで来た。グレイル傭兵団の皆にも是非式に参加して欲しいと告げられてから、ミストはまるで自身がその主役であるかのように舞い上がっていた。こうして、時間を見つけては彼らの住むメリオルヘ馬を走らせ、式が形になる様子を嬉々として見に行っている。
 ミストがメリオルヘ行く事も、婚礼衣装が出来上がっていく様をうっとりと語る事も彼女の勝手。そう己を諭しても、この苛立ちはなぜか収まらない。


「この子ったらね、予備のドレスを着させてもらったのよ」
 夕餉の席のティアマトの声に、ボーレは咥えていた匙をスープごと噴出した。「汚いぞボーレ」という彼の兄の非難は心には届かず。ティアマトの隣のミストは、照れくさそうにはにかんでいる。
「お前、図々いんじゃねぇの?」
 ティアマトの言葉がそのまま脳裏に具現化した事実を拭い去るように、口元を手の甲でこすりながら言った。紅潮気味のミストの顔は、ボーレの言葉にあからさまに閉口する。
「もう着なくなった物だよ。ステラさんもいいって言ったし」
「お前があんまり物欲しそうな顔してるから、見かねたんだろうよ」
 花嫁たる弓騎士は物静かで、奥ゆかしい性格だとボーレは記憶している。けれど、今ボーレの胸中に湧き上がっている不快感は、そんな彼女を憂慮してのものではなかった。
「酷っ……!そんな言い方―――」
「事実じゃねえか」
 ボーレが立ち上がり、テーブルから身を乗り出したと同時だった。
「二人とも、止めなさい」
 静かな怒りを孕んだティアマトの声で、二人の口喧嘩は押し止められた。舌打ちをして、ボーレは食堂を去る。その間も、他の傭兵団員は黙々と口を動かしていた。ボーレを追いかけるどころか、心配する者すらいない。いつもの口喧嘩。それで片付けられるのだ。ボーレの背中をしばらく見ていたミストも、溜息をついて食事を始めた。籠に積まれているパンに手を伸ばすと、仲間の嫌な笑みと視線に気付く。
「何ニヤニヤしてるのよ」
 意味深げに片頬を上げながら、ガトリーは木杯を傾けていた。
「いやいや、ボーレ君も将来の事を考えるお年頃なんだなと思ってさ」
 その言葉の意味が理解できず、ミストは憮然とした表情でパンをちぎる。
「うん。人生設計は必要だよ」
 隣に座っていたヨファまでもがそう呟いた。


 
 新しい門出を迎えるにはふさわしい青空だった。
 春の花々が舞い、鳴り響く鐘の中を式の主役達は歩いていた。その招待客の中に、ボーレはいた。祝福の笑みで花びらを放つミストの横になんともなしに立っている。
 あれから、ミストとは何事もなかったかのように接して来た。多少の口喧嘩はあったものの、それも日常の一部だとばかりに過ぎて行く。今回ばかりではない。ボーレが傭兵団へ来た時から、気が付けばそうなっていた。これでいいのかとボーレは自問する。幸せを満面にした花嫁と、終始ばつの悪そうな花婿の姿が目に入る。ぼんやりと、特に意識している訳ではないはずなのに。花弁の絨毯を歩く二人を、ボーレはじっと見詰めていた。

 
 揺れる荷馬車にまで、ミストは式の名残を持ち込んでいた。
 決して豪奢とは言えない結婚の儀ではあったが、それもミストを陶酔させるには充分なものだったらしい。花嫁に降らせたはずの白い花を、ミストはうっとりと眺めていた。
「綺麗だったね」
 その横でヨファが口を開いた。それにミストは笑顔で同意する。帰路の御者役をガトリーに任せたティアマトまでも。
「本当に。あの花婿さんも意外に様になってたしね」
 その言葉に荷台の一堂は笑ったが、ボーレだけはそれに合わせきれずに引きつった笑みを見せるだけだった。
「でも……」 
 手の中の花を持て余しながら、ミストは溜息に近い声を出した。
「結局ブーケ取れなかったなあ」
 それだけが心残りだと言わんばかりの響きだった。 
「前からずっと狙ってたのにね」
「お前、すんげぇ必死だったな」
 シノンの揶揄に、ボーレは大きく弧を描いたブーケが、ミストとは遠くはなれた場所へ落ちて行ったのを思い出す。その時のミストの顔も。その記憶につられるように、ボーレは無意識に口を開いた。
「ほんと、女って何であんなのに必死なんだよ」
「いいじゃない。女の子の憧れを壊さないでよ。馬鹿」
 明らかに気分を害したという声色に、ボーレは取り繕うどころか鼻を鳴らすだけだった。
「馬鹿とは何だよ、馬鹿とは」
「人のやる事にいちいちケチつける人の事!」
 軽口のはずだった。そう誰もが思っていたのだが、口喧嘩の火は思いの外大きかった。「止めなよ」とヨファが悲鳴のような声を出すが、収まる気配は全くなかった。他の者達も、またかと溜息を吐く。
 
 花嫁の投げるブーケを受け取った者が次の花嫁。そのような事、いや「花嫁」にこだわるミストに苛立ちが沸いていた。
 お前もああなりたいのか。花嫁衣裳を着て、皆に祝福されながら教会を歩きたいのか。その隣には、誰がいるのか。

 ミストが思い描いているのが、自分以外の誰かではないのか。その焦りをただミストにぶつけていただけだった。ボーレはそう気付いてしまった。思わず叫んだ直後に。
「大体あんなもん受け取ったって、嫁に行くアテがなけりゃ意味ないだろ!だからお前は貰おうが貰わないが関係ないんだよ!」
 ボーレは放った言葉に後悔した。我に返ったと言った方が正しいのかもしれない。咄嗟に口を噤むも、言葉は回収できない。
 幌の中は気まずい空気が流れる。「場所選べっての」というシノンの小さな呟きは、馬の蹄に消された。
「どういう、意味……?」
 しばらく瞬きだけをしていたミストが、ようやくボーレにそう問うた。ボーレは否定も肯定もできずに、ただ顔を赤くして口を真横に結んでいる。
「いや、その……」
 ここは馬車の中。いつもの砦のように逃げ去る事もできず。冷たい汗がじんわりと額に浮かんできた。俯くも、ミストの視線が痛い。皆の視線も、容赦なくボーレに語りかけている。この続きは、帰ってからだと。
 がたがたと馬車が揺れ、その振動がボーレの腰に響く。この空気はきついが、この帰路がいつまでも続くようにと願わずにいられなかった。


08/03/12戻る

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