10 空回り
ただただ、悲願達成の感動に泣いていた。
大の男が情けないと自覚はしている。だが、溢れ出る涙と感動は抑える事ができない。もとより、彼は感情を抑えるのには慣れていない。
この枯れる事のない感涙を共有している内に気が付けばケビンの周囲に人はいなくなっていた。見知らぬクリミアの兵士の所へ行っても、「見張りがあるからと」避けられる始末。現在は厩舎にて愛馬とそれを分かち合っていた。愛馬はそんな思いを知ってかしらずか、涙する主人にしきりに鼻を擦り付けている。
「ケビンさん」
少女の呼び掛けに、ケビンははち切れんばかりの感動の源泉がかさを増した思いがした。除隊したとはいえ、彼女はベグニオンの天馬騎士。しかも、エリンシアが正式にベグニオンの庇護下に入る前から協力してくれていたのだ。
「ありがとう、ありがとう・・・マーシャ殿っ。貴殿は、退役し・・・たとはいえ、ベ、グニオンの、騎士である、のにっ・・・クリミア奪還に力を尽してくれた・・・」
「ケビンさん。わたしも嬉しいです。こうしてクリミアが姫やあなたの元に戻って」
彼女は優しい。勢いが余り過ぎた己の行動も苦笑しながらも受け止めてくれる。今も、ほら、大の男の涙に手拭いを差し出してくれる。
「ケビンさん。わたし、ベグニオンに戻れる事になりました」
一瞬耳を疑った。背後の愛馬のいななきが、月明かりの下で柔らかく微笑む彼女が、随分と遠くに感じられた。
そうだ。彼女は除隊した。だが、彼女の活躍がベグニオンの将軍の目に止まれば服役もおかしくない。その中に、彼女の元上官がいたのだ。
クリミアに残ると思い込んでいた自分がおかしくて仕方がない。おかしくて、笑ってしまう。
「そうか・・・よかったではないか。これで貴殿も祖国で力を振るえるのだ。貴殿の力なら、ベグニオンでも遜色はない」
そうだ。自分の国に帰るのが一番だ。クリミア再興の人材としては惜しいが、それが彼女の為ならば。
「はい。ケビンさん。わたしの方こそ、ありがとうございました。あなたと一緒に戦えて本当に良かった」
「うむ。おれもだ。貴殿のおかげて、おれも何度救われたか」
それには嘘はない。強く頷いたその時、ふわりと彼女の身体が浮いたのを見た。近付く小さな顔。
唇に冷たい感触がした。それでいて、柔らかい。
「だから、お別れです。ケビンさん、本当にありがとうございました!」
早口にまくしたて、くるりと踵を返した背中を見て、ようやく何が起こったのか理解できた。息がまともにできない。だが、兵舎に戻ろうとする背中が消えて行く方に焦りを感じた。
「マーシャ殿!」
その背中が、びくりと立ち止まる。ゆっくりと振り向いた顔に、月明かりは届かない。
「遠くなるが同じ騎士、いつか会えるかもしれない。だから、どうか今生の別れのような事は言わないで欲しい・・・!騎士が一度交わした友情は永遠なのだ!」
本当に言いたい言葉は別にあるような気がしたが、それでも叫ばずにはいられなかった。