立夏の風に舞う定期便



「では、な」

「はい。お元気で」

 別れの言葉は、何だかとてもあっさりとしたものだった。手紙を書くとか、また会おうとか、そんな言葉はまったく聞こえて来ない。

 タニス将軍がクリミア軍へ来てから、二人はずっと近くで戦ってきた。ぼくは戦場以外でも二人がよく一緒にいるのも知っていた。だから、別れるのが辛いんじゃないかと思っていた。だけどお兄ちゃんの顔を見ても、タニス将軍の顔を見ても、ちっともさびしそうには見えない。

 オスカーお兄ちゃんはタニス将軍と一緒にベグニオンへ行ってしまうのではないか。ずっと前にボーレがそんな事を言っていた。ボーレだけじゃなく、その話はクリミア軍の中でもみんなに噂されていて、おまけにあのケビンとかいうやかましい騎士もお兄ちゃんをクリミア騎士団へ入れたがっていた。ぼくはどっちになっても嫌だった。とても嫌で、その事を考えると悲しくなって、ボーレは言うなと言っていたけれど、ついオスカーお兄ちゃんに言ってしまった。どこの騎士にもならないで。傭兵団にみんなでいようと。

「大丈夫。ずっと傭兵団にいるよ」

 お兄ちゃんは明るくそう言ってぼくの頭をなでたので、それでぼくは安心した。

 たけど、戦争が終わって、今まで一緒だった人たちと別れる事となったら、少しだけぼくがさびしくなってしまった。せっかく仲良くなった色んな国の人たち。みんなこのまま傭兵団に入ればいいのに、とまで思ったけどあの砦ではみんな一緒に暮らせない。



「ほら、ヨファ。お前も挨拶するんだ」

 そう言ってぼくの背中を軽く叩かれて、ぼくははっとなった。目の前にはタニス将軍。同じ天馬騎士でも、マーシャさんとは全然違ってとても話しかけにくい人。いつも怒ってる、という訳じゃないんだろうけど。だから、いつもお兄ちゃんに言われた通りのあいさつしかできない。

「さようなら、タニス将軍。お世話になりました」

「わたしの方こそ世話になった」

 だから、こんなに優しい顔をされて、本当にびっくりしてしまった。おどろいたのが顔に出てしまうんじゃないかというほどに。

 それから、晴れた空へ吸い込まれていくように小さくなる天馬を、ぼくたちはずっと見ていた。タニス将軍の天馬か、それともマーシャさんの天馬かわからない白い羽根をぼくは拾った。

「お兄ちゃん、さびしくない?」

「うん?まぁ、少しは」

 ちっともそうでないように答えた。もしかしたら、二人はあまり仲が良くなかったかもしれない。お兄ちゃんもマーシャさんみたいに、いっぱい怒られてたりして。





 戦争が終わっても、ぼくたちはしばらくの間クリミアのお城で暮らしていた。けれど、アイクさんがクリミアのお城での仕事を終えたので、ぼくたちグレイル傭兵団は元の砦へ帰る事となった。お城での暮らしはとてもおもしろくてもう少しいたいと思ったのだけれど、団長の命令だからしかたがない。それに、やっぱりぼくの家はあの傭兵団の砦だ。

 だけどエリンシアさまは、ぼくたちがいなくなるのが悲しいみたいで、クリミアのお城の門を閉めてぼくたちが帰れなくなるようにしてしまった。門番さんにいくら言っても「女王陛下のご命令ですので」と聞いてくれない。

 困り果てた末に、アイクさんが「エリンシアと話をしてくる」と一人でお城の方へ走って行ってしまった。誰もが不安な気持ちのまま待っていると、エリンシアさまのお部屋がある辺りからがたん、と大きな音がした。びっくりしたけど、何が起こったのかぼくにはわからなかった。むりやりお城とは反対の方向を向かされ、おまけにオスカーお兄ちゃんがぼくの耳を両手で塞いでいたからだった。

「不潔よ、お兄ちゃん・・・」

 オスカーお兄ちゃんの指の隙間から、ミストちゃんの消え入りそうな声が聞こえた。フケツってどういう意味だったっけ。

 ぼくの両耳が自由になったのは、アイクさんがユリシーズさんを連れて戻ってきた時だった。ユリシーズさんは門番のおじさんに門を開けるように言うと、「ご迷惑をおかけした。我が主もこの度の事は重々に反省しておられる。どうかご容赦の程を」とぼくたちに頭を下げた。どうやらぼくたちに意地悪したエリンシアさまをアイクさんと一緒に説得してくれたみたいだ。エリンシアさまは本当はお優しい方だから、きっとわかってくれたに違いない。

 



 とにかく、これでぼくたちはめでたく「グレイル傭兵団」に戻ることができた。長い間離れていた懐かしい傭兵団の砦はかなり汚れて、壊れかけていたけれど、それでもぼくたちを迎え入れるのにはじゅうぶんだった。傭兵団はというと、この一年でグレイル団長がいなくなった事、その代わりにアイクさんが団長になった事、ワユさんが傭兵団の新たな仲間になった事、そしてぼくとミストちゃんも戦場に出るようになった事ーーーこの砦以上に大きな変化があった。(ちなみにシノンさんとガトリーさんは一度傭兵団を抜けているけど、二人は結局戻ってきてくれたから変わった事には入れない事にした)あ、それともう一つ。これも変化と言っていいのかどうか迷うのだけど。





「ーーーまた来たぞーーー」

 シノンさんのあきれたような声で、ぼくも空を見上げた。もうすぐ夏になる頃。真っ白な雲の間をぬうようにして飛んでいる天馬の姿が見えた。ああ、今月もだ。そんな事を思うぼくも、最初の頃よりは驚きがだいぶ薄れている。

「オスカー。お前に『定期便』だ」

 さして興味がなさそうな声でシノンさんがお兄ちゃんの名前を呼ぶ。「定期便」。そう名付けられた本人は当たり前だけどそのあだ名を知らない。やかて雲のように白い天馬がゆっくりと砦の前に降りてきた。

「タニス将軍、こんにちは」

「ああ。ヨファも変わりないようだな」

 ぼくはタニス将軍の近くに行くと、天馬の手綱を取った。天馬は男の人が嫌いなんだけれど、子どもは別だとマーシャさんがずっと前に教えてくれた。動物にまで子ども扱いされるのは不満だったけど、こうして世話をしているうちに、子どもも悪くないなと思ってしまう。ちょっとだけど。

 天馬はとても臆病で、馬や他の家畜を怖がるので、ぼくは砦の厩舎とは離れた庭に繋いだ。

「タニス殿、ようこそおいでくださいました」

 シノンさんと違ってあきれた様子もなく、オスカーお兄ちゃんはタニスさんをにこやかな笑顔で迎える。いつもこの調子だった。

「オスカー。君も変わりないようで何よりだ。ところでーーーーーーー」

 タニス将軍がオスカーお兄ちゃんをベグニオンの騎士団に入れようとしていた噂は本当だったのだ。お兄ちゃんはその話をとうの昔に断ったのに、タニス将軍はそれでも遠いベグニオンから、わざわざこのクリミアの外れにある傭兵団の砦まで、暇を見つけてはやって来て説得に来ている。毎月必ずやって来るので、シノンさんが「定期便」とあだ名を付けたのだ。

 オスカーお兄ちゃんはこのタニス将軍の話には、けっしてうんとは言わない。ガトリーさんが「兄ちゃんあの美人の将軍に取られるぞ」とからかってくるけど、ぼくは前に言ってくれたお兄ちゃんの言葉を信じている。けれど、何だかタニス将軍がかわいそうになってきた。わざわざ遠くから毎月来てくれているのだ。だから、お兄ちゃんも断るけど冷たくはできないのだと思う。最近ぼくはタニス将軍もお兄ちゃんも納得できる条件はないだろうかと考えるようになった。もちろん、お兄ちゃんはグレイル傭兵団にいるという事で。



 

 タニス将軍はオスカーお兄ちゃんを説得した後(断られた後とでも言うべきかも)、ぼくたちとお昼ご飯を食べて行く。その後は、セネリオさんとティアマトさんにベグニオンの様子を話したり、アイクさんと剣の稽古をしたり。傭兵団のみんなと少しだけ過ごしたら忙しそうにベグニオンへ帰って行く。だけど、今日は違った。エリンシアさまに用事があったから、今日はクリミアのお城に泊まるらしい。いつもはキルロイさんと一緒に行く天馬の餌採りを、タニス将軍と行く事になった。

「いつも天馬の世話をしてくれてありがとう。とても感謝している」

 餌採りの途中で、急にそう言われた。まっすぐに見つめられて感謝されるととてもくすぐったい。ぼくはまともな返事もできずに、天馬が好きな若芽を探すけれどもそれに集中できないでいる。これに似た気持ちをした事を思い出した。戦争が終わって、ベグニオンへ帰るタニス将軍に別れのあいさつをした時、タニス将軍の優しい顔を見た時と同じ気持ちになっていたのだ。

 山をおりるまで、ぼくとタニス将軍はあれから一言も話をしなかった。変に緊張しているぼくに気をつかってくれていたかもしれない。そのせいか、ぼくの頭ではタニス将軍のお礼の言葉がずっとぐるぐる回っていた。



「長居したな」

 飼い葉桶いっぱいの草を天馬が食べ終わる頃には、陽がすっかり傾いていた。さすがに夕飯まで食べて行く時間はないらしく、見送ったぼくとお兄ちゃんとアイクさん、そしてミストちゃんにお礼を言うと、タニス将軍はすぐさま天馬に乗って飛び立った。赤くなった空に天馬はまたたく間に溶け込むように小さくなる。ぼくとオスカーお兄ちゃんは、いつも見えなくなるまでずっと空を見上げしまうのだ。空が暗くなって、天馬が星よりも小さくなって、ぼくの心臓はようやく収まったみたいだ。

 お兄ちゃんの方をちらりと見ると、もう天馬が見えなくなった空をまだ見ている。

 オスカーお兄ちゃんは、本当はタニス将軍の事をどう思っているのだろうか。そしてタニス将軍も。

 好きでもなかったらきっとずっと見送ったりはしないんじゃないかな。例えば、ぼくの好きな人が遠くへ行ってしまったとしたら、多分ぼくもずっとその方向を見ているだろう。ぼくはまた、年の差と強力なライバルという理由で女性をあきらめる羽目になってしまった。でも、マーシャさんの時とは違う、「ライバル」を応援したい気持ちになった。(今となっては恥ずかしい事だけど、ケビンにはものすごい意地悪をしてしまった)きっとそれがオスカーお兄ちゃんだからだろう。



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