立夏の風に舞う定期便



「なーんか、煮え切らないっすよね・・・」

 ミストちゃんの手伝いで夕飯の片づけをしていると、後ろの食卓からガトリーさんの声が聞こえた。ガトリーさんとシノンさんは、食事が終わってもまだお酒を片手に食堂に残っている事がよくある。今日はボーレもいた。

「オスカーもアレだろ?まんざらでもねぇから『定期便』を許してるってこったろ」

「それ本当?」

 思わず振り返ったぼくに、食堂にいた三人はびっくりしてぼくの顔を見た。どうやら、ぼくがいる事をすっかり忘れていたらしい。でもすぐに落ち着いたシノンさんが「ガキにゃまだ早えよ」と手をひらひらとさせた。

「ねぇ、お兄ちゃんとタニス将軍、上手くいく方法ってないかな?」
 思いきって二人の意見を聞く事にした。ミストちゃんが一度だけぼくを見た。ボーレはぎょっとしていた。シノンさんとガトリーさんは顔を赤くしてにやにやしている。相当お酒を飲んでいる証拠だ。

「あのなぁ・・・あのおっかない将軍がお前の兄ちゃんを追っかけてるのはな、ただ単にあいつの能力を買ってベグニオン騎士団へ誘ってるだけなんだ。考えても見ろ、あの女はベグニオンでも有数の大貴族のお嬢様。オスカーは『元』クリミアの田舎騎士。さらに出自もどこの馬の骨ともわかんねぇときたもんだ」

 シノンさんの言葉が難しくてきょとんとしていると、すぐに「要するに身分が釣り合わねぇってこった」と言い直してくれた。

「・・・悪かったな『馬の骨』で」

 ボーレは何だかいらいらしていた。

「でもシノンさん、お兄ちゃんも『まんざら』じゃないんでしょ?」

「そりゃベグニオン入団の話だっちゅーのっ」

「でもそれだけだったら、わざわざ天下の聖天馬騎士団の副長様がクリミアくんだりとかしますかねぇ。普通だったら見習いとか伝令とかを寄越して来るっしょ?」

 この中でガトリーさんが一番にやにやしていた。ちょっと気持ち悪いけど、ガトリーさんの意見にはぼくも納得できる。ボーレもうなずいていたし。

「仮に惚れた何だってんでここまでやって来てるんだったらアレだな。あの将軍も相当男に免疫がねぇな。さすが女の園の副長様ってやつか」

「でもさ、お兄ちゃんもきっとタニス将軍の事好きなんだよ。タニス将軍もそうじゃなきゃ傭兵団まで来ないって」

「あのな、ヨファ」

 溜め息をつくような、そんな重たい息を吐いてボーレがぼくの方を見た。

「じゃあ聞くけど、お前は兄貴がベグニオンへ行ってもいいってのか?」

 ぼくはとっさに首を思いっきり横に振る。それだけは嫌だ。ぼくの答えにボーレが舌打ちする。

「だからお前はガキなんだよ、チビ助」

「チビって言うな!ばかボーレ!」

 ぼくたちのこういった言い合いはいつもの事だ。だけど今のボーレの『チビ』に何か上手く言えないけどとても重たい物を感じていた。

「・・・あれは本人たちの問題だ。他人がどうこう言うもんじゃねぇよ。どんな答えを兄貴が出そうと、それを認めてやるのが一人前の男ってもんだ。兄貴がいなくなるのが寂しいのはわかるけどな、兄貴の気持ちを少しはわかってやれよ」

 オスカーお兄ちゃんの気持ち?わかってやれ?

「お兄ちゃん、ベグニオンに行きたがってるって事?」

「んなこたぁわかんねぇよ。でもさ、兄貴も今までおれ達の為にたくさん我慢してきたんだ。もうそろそろ、おれ達抜きで好きな事させてもいいんじゃねぇの?」

 その言葉にぼくはずきんと胸が痛んで、食堂を出て行った。「ボーレ君大人になったねぇ」とガトリーさんがボーレをからう声が廊下にまでひびいていた。

 大人になる事はつらい事。誰かが言っていた。ぼくは傭兵団の一人として、クリミア軍の一人として戦場に出てきた。弓の腕で役に立って来たと思っていた。もう一人前の傭兵になったつもりで、子ども扱いされるのが嫌だった。でも、お兄ちゃんと離ればなれになるのがイヤのは、ぼくがやっぱり子どもな証拠なのだろうか。ボーレも悲しそうだったくせに。







 タニス将軍は次の月も来てくれた。先月みたいに一緒に天馬の餌を採りに行く事はなかったけれど、遠くお兄ちゃんと一緒にいる姿を見るだけでホッとした。もしかしたら、こうして毎月タニス将軍がやって来てくれるのを楽しみににしているのかもしれない。

 相変わらず、お兄ちゃんどころか傭兵団のみんなのタニス将軍への態度も変わらない。歓迎しているような、していないような。ぼくだけが、二人の事でひとりやきもきしているみたいだ。

「それ程重要ではないにせよ、クリミアでは手に入りにくいシエネの神殿内の状況を話してくれますしね。ベグニオンがクリミアの援助を続けている限り害にはならないでしょう」

 とは言うまでもなくセネリオさんの言葉だ。ちなみにオスカーお兄ちゃんのベグニオン騎士になる事には「好きにしたらいい」と本当にどうでもよさそうに答えた。

 



 天馬の前に飼い葉桶を置いて、ぼくの部屋へ戻ろうとしていたらオスカーお兄ちゃんの姿を見つけた。タニス将軍はどうしたのかと聞くと、アイクさんと手合わせをしていると答えた。お兄ちゃんの手には分厚い本があった。じっとそれを見ていると「タニス殿から頂いたんだよ」と表紙を見せてくれたけれど、そこに書いてある文字はまったく読めなかった。ぼくは傭兵団のみんなの名前と、簡単な文字しか読めない。

「ヨファ」

 表紙とにらめっこをしていたら、お兄ちゃんの優しい声がぼくを呼んだ。気がつけばお兄ちゃんの顔は片ひざをついているせいで、ぼくと同じくらいの高さにあった。

「私がベグニオンに行ってしまうんじゃないかって、お前は心配しているみたいけど、それは決してないからな」

 ゆっくりとした口調だった。いつもぼくに言い聞かせる時と同じだ。

「お前とボーレを置いて、私はどこにも行かない。信じて欲しいんだ」

「うん。信じてるよ」

 信じてる。そうは言っても不安が残っているのだと、お兄ちゃんは見抜いているに違いない。ぼくは一つ、二つ深呼吸をした。

「あのね、お兄ちゃんは、タニス将軍の事が好き?」

「ああ。好きだよ」

「そうじゃなくて、ぼくやボーレの事を好きとかそういうのじゃない『好き』」

 お兄ちゃんはいつも優しくて穏やかな顔をしている。みんなに対してもそうだし、めったに怒る事もない。だから、今みたいに何を考えているのかわからない顔をされると、とても困ってしまう。

「お前は、兄さんとタニス殿がどうなって欲しいと思っている?」

 そう言われて、前にシノンさんが言っていた事を思い出す。そしてボーレの言葉も。そうだ。お兄ちゃんはぼくのためにいっぱい我慢してきたんだ。だから、今度はぼくがお兄ちゃんのために我慢しなくちゃならない。それが大人なのだから。

「ぼくは、お兄ちゃんもタニス将軍も好きだよ。だから、その・・・二人がずっと一緒に仲良くしてくれればって思ってる・・・ベグニオンに、行っても・・・」

 最後の言葉はやっぱり嫌だったから、小さくなってしまった。ちゃんと聞こえたかな。

 しばらくの沈黙。下を向いたら涙が出そうで、でも、お兄ちゃんの目を見るのも恐かった。仕方なく、涙が出ないように顔中に力を入れてうつむく。

「・・・そうか。ありがとう、ヨファ。これで私も決心がついたよ」

 恐る恐る見たオスカーお兄ちゃんの顔は、いつもの優しくて穏やかな顔だった。でも、ぼくはその顔を見たら胸がずきんとした。

 決心がついたーーーやっぱりぼくがベグニオンへは行かないでって言ったせいで、お兄ちゃんは傭兵団へ残っていたのだ。ぼくが産まれてすぐにお父さんが死んで、お母さんは家を出て行った。それからオスカーお兄ちゃんがぼくを親代わりに育ててくれたのだ。ぼくだけじゃなくてボーレも。ぼくのためにお兄ちゃんはクリミア騎士団をやめたし、そして今までもぼくのためにベグニオンの騎士になる事をあきらめようとしていたのだ。お兄ちゃんと離ればなれになるのは嫌だ。でも、今のぼくがお兄ちゃんの重りになっている事がもっと嫌だった。

 



 オスカーお兄ちゃんに手を引かれて、ぼくは部屋へ戻った。ぼくは泣くのを一生懸命我慢して、オスカーお兄ちゃん、そしてタニス将軍ともう会えなくなるかもしれない事に耐えようとしていた。ぼくはもう一人前の男で、傭兵だから。だから、悲しい別れには耐えなきゃならないんだ。もう二度と会えないんじゃない。そうだよ。ベグニオンなんて、いつでも行けるよ。これでいい、これでいいんだ。ぼくが大人になって、お兄ちゃんはお兄ちゃんの好きな事ができるから。




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