嫉妬への差額

 迫りくる敵の影を認識すると、振り向きざま大剣を薙いだ。重く鈍い手ごたえとともに、金の鎧を着た兵士は崩れ落ちる。しかし、アイクは長槍を向けた相手ではなく、その向こうの光景に眉間を寄せた。

 負の女神ユンヌの指示により、三つに分かれた部隊だったが、アイクたちの隊が導きの塔へ辿り着いた矢先に、アスタルテの兵が襲いかかってきた。シエネ中枢部までの道中、正の兵士らとの邂逅は一度や二度ではなく、隊の者皆迅速に得物を手に戦い初めた。アイクも例外ではなく、むしろ率先して彼らに立ち向かっていく。

 それは他の隊も同様らしく、鷹王と同行していたエリンシアもまた、天馬にまたがり、剣を振るう姿がアイクの目に映る。それだけなら、アイクもさして気にも留めない。
 怪訝に思ったのは空中を駆ける天馬の下。天馬の影と思いきや、主から独立した動きを見せていた。敵は鮮やかな鎧をまとっているばかりに、黒いうねりはより暗く闇色に映り、尾を引いて彼らを縫うようにして走り去る。その跡には大柄な兵士がばたばたと倒れる音だけが響いていた。
 やがてそれが人だと知る事となる。しかも既知の。懐かしいとでも言い表わそうか。
 元「依頼相手」を見定めると、アイクはラグネルを握り直し、踏み込んだ。



「フォルカ?」
 ライはスープが入った椀から顔を上げた。
 いつ敵の攻撃が遭ってもおかしくはない状況だが、そんな中でも、特にこのネコ族の青年は、のんびりとした空気をまとっていた。
 今のテリウスを取り巻く状況を楽観している訳ではなく、むしろ彼がいたティバーン隊において、鷹王とクリミア女王の間を取り持ち、補佐などの役割を担ってきた。
 ラグズ連合時分の頃よりも、本来の気楽さが休息時において滲み出ているのは、長らく彼の頭痛の種であった次代ガリア王と離れていたからだ、というもっぱらの噂だった。
 ライは上げた顔を後ろに向け、アイクの視線の先―――遠くで大木に背を預けている男に視線をやった。
「あの男なら、『裁きの光』でも石にならないのは不思議ではないが、参戦するなんて思ってもみなかった」
 アイクの言葉で顔を正面へと戻すと、ライは、彼はフェール伯が連れてきた、とあっさりと答えた。
「フェール伯とは、旧知の仲らしいからな」
 それでも釈然としないといった面持ちでアイクは口を真横に結ぶ。
「ああいった世界ともなるとな、後ろ暗い連中の一人や二人、顔見知りじゃなきゃ生きていけないのさ」
 ベオクのな、と片頬を上げて付け加える。そして再びスープを冷ます作業に戻る。
「フェール伯が雇った、というのか?」
「うん?そうだけど」
「エリンシアじゃなかったのか」
「はあ?」
 アイクの言葉か、不覚に舌を熱いスープに触れてしまった驚きか、ライは弾けるように首を上げた。
「さっきの戦闘、フォルカはエリンシアに離れていなかったから」
 ただ彼女を護衛していた様子ではない。だが、アイクの目には、常にエリンシアの天馬の真下や翼の影、天馬の死角から狙う使徒らを確実に斃しているように思えたのだ。それがフォルカだと知り、最初は目を疑った。
 ライの青い耳がぴくりと動く。
 そこまで見ていたとは。
「確かに、フェール伯とは別の依頼を受けていたようだけどな」
「いいのか?」
「何が」
 と、返したものの、アイクが何を言わんとしているのはライはすぐに読み取れていた。
「これから戦が始まろうって時に、皆の前で堂々と結んでいた契約を秘密にしろ、なんて言う方がおかしいだろが」
 そういうものか、と口に出すも、アイクはどこか安堵したようにライに向き直る。
「三〇〇〇ゴールド」
「うん?」
「契約金」
「ずいぶんと安いな」
「ああ見えて、美人にゃ割引いてんのかもな」
 スープが冷めたのが、匙を持つ手がすんなりと動く。
 アイクはライの後ろをじっと見遣る。遠くの立木の影には、未だ紫煙が昇っていた。

「何ならお前ももいっかい雇われてみれば?」
 ライの言葉にアイクは目を丸くした。何事にも堂々と構えている男の慌てた様子に、ライはおかしそうににんまりと犬歯を覗かせる。
「グレイル傭兵団の団長を格安で!なーんて売り込んだら諸手を上げて雇ってもらえるだろうよ」
「馬鹿を言うな」
 おもむろに立ちあがり、アイクは膝を払うと去って行く。ライは匙を咥えて、その背中を見送っていた。


 
 ミカヤの口を借り、ユンヌは塔に昇る準備を皆に勧めた。
 だが、正の女神に立ち向かう者達の選出、兵糧や装備の準備、塔外の部隊の陣を敷く間も、地面より怪しげな紋章が光る。押し寄せる軍隊の相手で、塔の扉を開ける暇もない。
 使徒の数は予想よりも多く、いくら切り伏せても減る様子はなかった。味方の背中を狙う敵を薙ぎ払い、その勢いで脇にいた敵を切る。周囲が倒れた鎧に囲まれ、見通しが良くなると、視界に黒い影が入った。フォルカだ。アイクは反射的に密偵を思い浮かべる。三〇〇〇ゴールドの契約はまだ続いているらしく、上空で白い翼がはためく音が聞こえた。
 アイクはすぐに視線を戻し、剣を構える。まだ敵は多い。
 遠くで弓を構える金の鎧が見えた。鏃がどこを狙っているか、瞬時に予想がついた。手にしている大剣、そして大柄な体格とは裏腹に、アイクは素早く駆け寄った。
 フォルカも気付かなかった―――あるいは敵の多さに手が回らなかったのか―――彼に代わって「依頼主」を狙う兵士を、指から弦が離れる寸前で切り斃す。ふと顔を上げると、複数の敵と刃を交わすフォルカと目が合った。
 
 
 ようやく軍勢が鎮まり、再び静かな時が訪れた。だが、敵襲の影を警戒し、緊張はさらに高まっている。ユンヌを中心に塔へと登る準備は進められているが、他の者は単独での行動を控えるよう言い渡されていた。
「フォルカ」
 陽が沈み、野営地にも松明が灯る。この状況でも誰かとともにいるのを厭う者はいる。
「ここだ」
 以前背を預けていた大木の影から、男は出てきた。随分とでかくなったな、と珍しく感嘆の息を溢しながら。
 誰かに雇われているのか、と試しに訊いてみるも彼は簡潔にああ、とだけ答えた。誰に雇われているとはさすがに口に出さない。フォルカも意味あり気にアイクを見遣る。
「返しておくものがある」
 それが何かを考させる間もなく、袋が重たげに弧を描く。
「この金は……」
「以前の報酬五〇〇〇〇ゴールド、その中から実報酬と諸経費を引いて余った分、ということろだ」
「ずいぶん多い」
 見憶えるある麻袋だった。確か、デイン軍の物資から渡したのだ。
「契約が早く終わったからな」
 ならば、エリンシアとの三〇〇〇ゴールドはどこまでの契約か。尋ねてみたい気もしたが、のど奥にしまい込む事にした。
「あんたには世話になった。まともな礼もしていない」
「仕事だ。礼などいらん」
 ぶっきらぼうに答え、フォルカは背中を向けようとした。
「だが、あんたの話を聞かなければ、親父の過去も……」
「……とにかく、余剰金は返す。それと、『もう一つは』昼間の差額だ。ではな」
 ありがとうな、との言葉を振り切るようにしてフォルカは闇に消えた。真正面から感謝される事に慣れていないのかもしれない。一人残され、アイクは頭を掻いた。
「……それにしても、かなりの多さだな」
 ずしりと感じる袋の重みは、あまり体験した事のない重さだった。こちらも納得して支払ったのだから、余剰金などと言わずに受け取ればいいものを。だが、フォルカの妙に律義なところは、嫌いではなかった。
 これはセネリオの渡すべきか、と考えながら袋の口を開ける。想像以上の枚数のゴールドが詰められていた。
「ん……?」
 暗くて気付かなかったが、小さな袋が硬貨の中にうずもれていた。それを摘み上げると、硬貨の音が鳴る。中はやはりゴールドだった。松明の灯りの下、小袋にはクリミア王家の紋が縫われていた。先刻の「もう一つは昼間の差額」というフォルカの言葉が蘇る。
 クリミアの紋を前に、しばらく不思議に考える。だが、渡した報酬から別途で分けていたものをそのまま入れたのだろう。そう片付けて再び元の袋にしまった。



「気付いていないぞ、あの小僧」
 さも馬鹿馬鹿しい、と言った風情でフォルカは酒を注いだ。正面にて同じく酒を傾ける男は、ほら見た事かと鼻を鳴らす。
「婉曲な表現は、あの御仁には通用せぬとあれだけ申したのに……!」
「おれが三〇〇〇で雇われていた事をやたらと気にしていたから、多少は効果ありと踏んでいたんだが」
「ああ、それを当て込んでの事だったが、どうやら無意識下の事だったようだ……」
 額に手を当ててはいるが、愉快そうに金の髭を歪めていた。
 だったらあんたか女王が直接言えば問題ないじゃないか、とフォルカは思うも、それ以上加担する気もなく、黙って杯を傾けた。
「やはり我が君自ら『御出陣』願うしか……ん、何だその手は」
「一〇〇〇」
「何?」
「あいつにやった『差額』だ」
「何と……!そこまで守銭奴と成り下がった訳か」
 大仰に嘆くユリシーズを前に、フォルカはあくまでも出した手を下げない。
「今回はあんたからの頼みで動いただけだ。その報酬とでも思ってもらおうか」
 何たる事だ、と唸りながらも、ユリシーズは己の懐に手を入れた。
「まあ、女王があいつと一緒に塔の中へ行けば話は別だが」
「その手があったか!礼を言うぞ火消しよ」
 その言葉で弾けたようにユリシーズは立ちあがった。どうやらユンヌにその旨を申し出るらしい。塔へは限られた者しか連れ立てない。それにかなりの危険を伴うため、よほどの手練か、正の女神に加担する者と親密な関係にある者のみ、と負の女神は暁の巫女の口を通して釘を刺していた。
 女神アスタルテに挑む者、純粋にこの世界を元通りに戻したいと願う者、女神に加担した竜鱗族に縁のある者。様々な思惑を抱えて、塔へ行きたがる者は後を絶たないという。
 果たして上手くいくのか。
 自分で火口を切ったにも関わらず、他人事のように去りゆく背中を眺めながら酒を口にしていた。
10/06/11   Back
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